小夜嵐

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鰐と乾物屋 03 

 村山さんをひたすら待つ間、時間は行きつ戻りつ、相対性理論を持ち出すまでもなく、いつもより滞っているような気がした。かちり、こちりと居間に据えられた大時計が秒針を鳴らす音を聞きながら、わたしは冷や汗を流していた。店長はキセルに煙草を詰め、ぷかりぷかりと吹かしている。
「あんた、ここにはどうやってきた?」
 ふいに質問がやってくる。
「ええと、普通に、歩いてきてますが」
「何回目だい?」
「よく覚えてませんが、確か……二十回はいってないと思いますが、十回は超えてるかと。どうしてです?」
「何、気になっただけさ」
 また、ぷかり。煙草の煙が徐々に居間を侵食していく。肺を圧迫されるような空気に咽ないように、息をできるだけ止める。
「て、店長は、いつからこちらでご商売を」
 文字通り、息が詰まるような雰囲気に押され、なけなしの疑問をぶつけてみることにした。果たして黙殺されるか、叱咤されるか。覚悟を決めていたつもりだったが、
「気が遠くなるくらい昔からさ」
 答えてもらって更に店長が恐ろしくなった。洒落かもしれないが、この乾物屋では何が起きてもおかしくない気がしてきていたのだ。それは、最初に村山さんに会ったときに感じているべきことだったのかもしれない。うっかりしたものだ。
 店長がこうなのだから、村山さんも本当にワニ人間なのかもしれない。村山さんはいい人だが、わたしはこれから自分に起こることが予測できなくなったし、それだけでなく、既に何かとんでもないことが起こってしまったような気もする。
 それとも、何も起こっていないのか。全ては幻覚なのか。わたしの頭がおかしくなってしまったのだろうか。
 混乱していた。
 そんなわたしの思考を読むように、店長がぽつりと言った。
「あんたはおかしくないよ。ちょっとずれてるだけさ」
「はあ」
 慰められているのか、突き落とされているのかよくわからない。小首を傾げると、店長は愉快気に笑った。めんどりが鳴くような声だった。
「おもしろい娘ではあるねえ」
 ムラをどう思う、と訊かれて、返答に困る。
「どう、といわれましても」
「いい男とか、あんなのお断りだとか、いろいろあるだろう」
「あー、まあ、いい人だとは思いますが、あの」
「なんだい」
「村山さんは、ワニですか?」
「ぷははははははははは」
 突然けたたましく笑われて、びくっとした拍子に腕がちゃぶ台をかすって少しお茶が零れてしまった。店長はそんなことを気にした風もなく、キセルを振りまわして笑っている。
「本当におもしろい娘だよ。本人に訊いてみな」
「そんな、そんな」
 できたらとっくに訊いている。店長にも、「あなたは人間ですか?」なんて直接訊ける訳がない。人の社会は、常にオブラートに包まれているものなのだ。
 まあ、とわたしは思う。
 まあ、人間であってもなくても、たいした変わりはないかもしれない。現にわたしはもうこの状況になじんできている。喋る人形と言葉を交わし、お茶を飲み、お茶菓子を待っている。
 万が一、取って食われるかもしれないという可能性は心から消えないし、一刻も早くここから逃げ出したい気持ちはあるのだが、どことなく惹きつけられるものがあることも確かだ。店長がいうわたしのおもしろさとは、そこにあるのかもしれない。そんなわけで、腰を抜かしたように座りこんでお茶を飲む。
 熱いお茶が胃に落ちていく快さに、ほっとため息をついた。
「ただいま帰りました」
 足音が近づいてきたかと思うと、がらりとガラス戸が引き開けられて村山さんが姿を現した。
「遅いよ」
 わたしの心情的には店長と同じだったが、時間を考えればずいぶん早い。三町目までは結構な距離があるはずだ。自転車を使ったのかとも思ったが、村山さんのシャツは汗を含んで肌に張り付いていた。本当に走ってきたらしい。壁に吊るしてあったタオルで首を拭っている。
「ご苦労様です。大丈夫ですか?」
「はい、なんとか」
 あえぎあえぎ、台所で水を一杯呷ると手を洗って小皿に茶菓子を盛って出してくれた。
「ご所望の和菓子です。どうぞ」
 つやつやした木製の小皿の上に、素朴な緑色の饅頭が乗っていた。てっぺんに丸山が二つ、白砂糖か何かで彩られている。
「おいしそうですね」
 素直にそう思ったが、店長は器用に眉を寄せた。
「……よりによって、よもぎまんじゅうかい。若くて可愛い娘っこがいるってのに、よもぎまんじゅうたあなにごとだ」
「え、何かいけなかったですか」
「おまえさんねえ、蜜橋だよ。よもぎまんじゅうなんかよりももっと洒落た菓子はいくらでもあるだろうよ。それをよりにもよってよもぎまんじゅうを買ってくるとは呆れたね」
「店長、和菓子がいいって言ったじゃないですか。それによもぎまんじゅうが一番美味しいんですよ」
「口答えするんじゃないよ。センスってものがないっていってるんだよ」
「そんなこといわれても」
 村山さんがしょぼんと俯いた。顎のリーチがあるぶん、視覚的にわかりやすい。店長の叱責が激しくなるにつれて、顎がじわじわと下がっていく。顎が胸につくあたりまで見守ったのだが、店長の口舌は止む気配がない。
 店長に刃向かうのは怖くはあるが、いつまでもこんなよくわからない説教を聞かせられてはたまらない。
「あの、店長さん、わたしよもぎまんじゅう好きですよ。蜜橋のなんて、食べたことないし、楽しみです」
 村山さんがぴょこんとこちらを向いた。店長とわたしを交互に見る。
 店長は少しの間きょとんとすると、くつくつと笑い声を立てた。
「はいはい、お客さんの前で説教とは、失礼したねえ。それじゃまあ、お茶にしようか」
 その一言で場が幾分和やかになる。安堵してお茶を啜ると、ぬるくなっていた。
 饅頭は美味しかったのだが、その味そのものよりも、よく味がわかったなという感慨の方が深いことが残念だった。


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