小夜嵐

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ほっとけ 41 


「なんか、寂しいねえ」
 ホットサンドイッチをかじりながら佐々木が言った。
「そうですか?」
 と恭二が応える。
 現在まてりあには社員二名しかいない。山本と薫が新婚旅行を兼ねて海外に買い付けに行ってしまったためだ。
「でも、結婚式もしないなんて。残念だわあ」
 いろいろ包んだり飾ったり手伝いたかったのに、と佐々木はつまらなさそうだった。
「ブーケはあげてたじゃないですか」
「式はまた別なの。籍入れるだけなんて、まったく最近の若い者は」
「佐々木さん、薫さんよりも年下ですよね? たぶん」
「たぶん、はいらない。それよりさあ、坂上くんはどうなの? 失恋は癒えた?」
 恭二の口から焼きそばの麺が少し飛び出した。焼きそばパンが今日の昼食である。
「なんですか、失恋って」
「まさか隠せてたつもりじゃないよね。あれだけわかりやすく岡惚れしておいて」
「そんなんじゃないです。たしかに、ちょっと、憧れてましたけど!」
 疑わしそうな顔をする佐々木の視線を避けて床を見つめる。
 確かに、失恋ではあったろう。だが、それは思ったよりダメージを残さなかった。
「いいじゃないですか。二人が幸せなら。先輩も幸せそうだったし、薫さんも嬉しそうだったし」
「そうねえ」
 佐々木がにっこり笑った。
 恭二はものごとの本質を悟った哲学者めいた厳しい顔をした。
「それに、思ったんです。薫さんには、先輩くらいタフで一途なピュアさがないと、ダメだって。あのお茶を飲まされて、恋の試練だとかのろけられるような、そんな頑丈さ、俺には無理だ」
「お茶?」
 不審そうな佐々木に「いえ、なんでもないんです」と言った、少し大人びた恭二を、彼女は「何だかわからないけど、ひと夏の経験でもしたらしい」と合点して、背中をやさしく叩いてあげた。




 仏壇がなくなったせいか、部屋がガランと広く感じられる。
 これが元の状態なんだけどな、と、恭二はのんきに掃除をしていた。仏壇の置かれていた場所が、四角く埃で囲まれてしまっている。買ってきた雑巾を絞って、丁寧に床を拭いていると、なにやら人として成長したようなさっぱりした気分になる。バケツはないので何度もキッチンの流しを往復しながら、部屋中を拭き清めた。
「ふう、さっぱりした」
 ここ数ヶ月の涙や埃や脂汗やビールを、すべて拭い去ったようなさわやかさだ。
「なんか、俺、大人になったのかなあ」
 うきうきした心地で使用済みの雑巾を流しに放り込む。もう不必要にテレビをつけっぱなしにしなくても寂しくない。禁酒も続けている。失恋しても、二人の幸福を素直に喜べる。
「おお、なんかいい感じだ」
 きちんとした部屋を見回す。それぞれがあるべき場所にあることを確認して、恭二は満足を覚えた。まるで今の自分を見るようではないか。
「そうだ、押入れも片付けようかな」
 思えばずいぶん開けていない。さぞかし埃が積もっていることだろう。雑巾をきれいに絞って準備すると、恭二は無造作に押入れのふすまを開けた。
 おっさんが座っていた。
 心臓が横隔膜を押しのけて急降下したような気がした。尻に冷たい床を感じて、はじめて腰が抜けていることに気づく。
 ふすまを閉めてみる。落ち着くんだ、と己に言い聞かせ、再び開ける。
 おっさんが座っている。
 ふすまを閉めた。
 たぶん、もう一度開けると「そう何度も開けるな」と文句を言われる。恭二は雑巾を持っているのを忘れて額をこぶしで押さえた。ひやっとする。
「なんでこんなとこに」
 おっさんは仏壇由来のものではなかったのかもしれない。しかし恭二にはおっさんに関するものに心当たりなどない。なんなのだ、なんなのだ、と疑問ばかりが頭に渦巻いて、一向に答えが出ない。
 じっとうずくまってひたすら考えていると、玄関のベルが鳴り響いた。
「先輩……?」
 もやのかかったような意識が少し浮上する。が、すぐにその期待は打ち消された。山本は薫と旅行中で、ここにはいない。第一、ベルの鳴らし方が違うではないか。この、可能な限り長く押す、鳴らし方は……。
 恭二の目に焦りが生まれた。鍵をかけていない。ドアチェーンを忘れている。胃のあたりが爆発するように脈打ち始めていた。
 ビー、ビー。
 しつこく鳴らされるベルの音に動揺して、どう行動したらいいのか思いつかない。挙動が不審になるばかりだ。久賀崎のことを思い出し、携帯電話に手が伸びる。だが、まだ事件ではない。
 居留守を使おう。
 だが、ドアを開けられたら最後だ。恭二は意を決してふすまにそっと手をかけた。隠れられれば、なんとかやりすごせるかもしれない。緊張で指先が強張ってうまく動かない。思いがけず、ふすまがガタリと音を立てた。まずい。
 ベルが止んだ。ドアノブに手をかける気配がする。
 押入れの中を見る。おっさんが詰まっていて、もう入れない。
 古ぼけたドアが軋む甲高い音がした。隙間から、可愛い少女のような女がにっこりと笑っているのが見えた。吉岡が照れた風に微笑んでいる。
「来ちゃった」
 恭二の頬を、汗が伝っていった。やけに冷たいから、雑巾のしずくかもしれない。
 隣に視線を移すと、押入れの奥の暗がりを占拠している、
 おっさんが、にんまりと笑った。





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