小夜嵐

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ほっとけ 38 


 頬を叩かれる音で目が覚めた。
「ちょっと、坂上! 生きてるのはわかってるのよ! 起きなさい!」
 目を開けると、いつも通り美しく化粧をした薫がいつもより眉を吊り上げながら険しい面持ちで右手を振り上げていた。カーテンの隙間から柔らかい日の光があふれ、部屋中を浄化しているようだった。
「坂上?」
 恭二が目を開けたことに気づいた薫は、最後の一発を頬にヒットさせることを諦めてくれた。
「……薫さん……おはようございます……」
「おはようじゃないわよ! なんでこんなとこに寝てるの? 一階は野菜だらけだし、あんた、よれよれじゃない。何があったの?」
「何って……」
 意識が朦朧として、よく思い出せない。体中の関節が悲鳴を上げている。少し動いただけで、そこかしこが痛んだ。額と顎に手をやると、熱をもっている。腹の奥では熱いスープでも煮立てているようだった。そのわりに、体の表面は冷え切っており、喉が干からびている。何度か咳をするが、一向に楽にならない。薫がペットボトルの水をくれたので、飛びつくようにして一気に飲み干そうとするものの、うまく喉の筋肉が動かず、吐き出してしまう。味は甘露だが、喉を通る度に痛みを伴う。水分を舌に染み込ませ、少しずつ体に流し込んだ。
 ひとごこちついたころを見澄まして、薫は心配そうに、
「あと、晋也さんはどこにいるの?」
「……晋也さん?」
「そう、どこ行ったの? どこ探してもいないんだけど」
「……ああ、先輩は……たぶん」
 ベッドの下を指差す。
 薫が素直に這いつくばってベッドの下を見る。しばらくじっくりとその空間を見つめた後、改めて恭二をまじまじと見つめ、
「何があったの?」
 と心底不可解な声音で訊ねたのだった。




 とにかく、まずは現状を何とかしましょう、という薫の言葉に従って、恭二は山本をベッドの下から引っ張り出した。薫と二人がかりでベッドの上へと寝かせる。
「よかった。命に別状はなさそうね」
 恭二は思わずもの言いたげな目で薫を見てしまい、睨まれて視線をそらした。
「ここは私がやるから、あんたは顔洗っておいで。ついでにシャワー浴びて、着替えてきなさい」
「はい」
 最初から反論などするつもりはなかったが、あまりに一方的な流れだった。しかしその言いつけを恭二は心地よく感じた。もの思う気力も考える体力も戻っていないせいだろうか、信頼できる人間に指図されて、それに従えばいい。それはとても楽なことだったのだ。
 恭二はふらつく足をすべらせないように気をつけながら階段を降りた。昨夜、何か恐ろしいものがここにひしめいていたような気がするが、よく思い出せない。なぜか粟立つ肌をこすった。
 リビングは、なるほど野菜だらけだった。
 惨状にうんざりし、あとで拾わないと、と思いつつ、壁に手をつきながら洗面所へ向かう。水を出して手に取ると、もうずいぶん冷たく感じた。その冷たさが骨身にしみるようで、顔を洗うのに躊躇してしまう。
 ふいに鏡に目をやると、口元の辺りが真っ赤に染まっていた。ぎょっとして頬を押さえる。薫に叩かれたときに口の中でも切ったのだろうか、と思ったのだが、どうやら鼻血らしかった。鼻を押さえると乾いた血がごわごわとあたる感触が不快である。
 顔を洗うのをやめにして、熱いシャワーをしゃがんで浴びた。
 冷えた汗が熱いお湯で流されるごとに、少しずつ人間に戻っていくような爽快感が恭二を満たしていく。ああ、とうっとりした声が上がる。
「生きてるなあ」
 シャワーの音にまぎらせて、恭二はしばらく泣いた。
 さっぱりした気分で着替えをすませ、リビングへ行くと、薫が野菜を拾っていた。
「あ、俺がやりますから」
「いいわよ。それより、気分はどう? どこもなんともない?」
「はい。なんとか……まだ本調子じゃないですが、生き残った感じがしてます」
「坂上。そこに座りなさい」
 ふいに厳しい調子になって、薫は手に持ったなすびでソファを示した。
 恭二は大人しく腰掛ける。テーブルの上にはまだお茶がこぼれていて、よく見るとソファのあちこちにも赤黒いシミが飛び散っていた。いやがおうもなくここで起きたことが恭二の脳裏を、しかし不明瞭な残像で駆け巡って、眉間を押さえる。
「で?」
 薫が詰問口調で続けた。
「何があったのか、詳しく説明してちょうだい」
「何って……ええと……」
 なかなか記憶を引きずり出すことができなくて、恭二は額を手で覆った。湯を浴びて、さっぱりはしたものの、まだ頭痛が止まないでいる。それでも思い出そうと努力していると、薫が台所へ行って、やかんを持ってきた。マグカップにコーンスープの素を入れると、あらかじめ沸かしておいたらしいお湯を注ぐ。スプーンでかき混ぜながら恭二に渡してくれる。
「ほら。ひとごこちつくから」
「あ、すみません」
 マグカップを両手に持つと、暖かさがじんわり肌に染み入ってくる。湯気が顔に当たったところがわずかに湿り、冷えていくのが不快で顔を拭いながら少しずつ口に含んだ。
「あー、おいしい。五臓六腑を駆け巡ります」
 目じりに涙をにじませて、恭二は腹の底からスープに向かって感謝した。コーンの甘みが舌をやさしく包み込み、熱く快い刺激が喉の奥を抜けて体の芯を暖めてくれる。
 恭二がスープを楽しんでいる間、薫はふきんでテーブルの上を拭いていた。マグカップが空になるころを見計らって、
「で、このテーブルがこんなになってるのは、どうしてなの? 野菜が散らばってることと関係あるの?」
 ふきんから染み出す赤黒い液体を見せ付けるように問いただす。
「それは……」
「ていうか、何? これ」
「薫さんのお茶ですよ!」
 唐突に思い出して、恭二はテーブルの下を探った。
「あった! これ!」
 見つけたのは、虹色の袋と、そこからこぼれる真っ黒な茶葉である。
「ああ、それ。飲んだの?」
「お茶って言ったじゃないですか!」
「おいしかった?」
「……天国の味がしましたよ」
「なんか、その感想、オタクっぽい」
 恭二は袋を取り落として頭を抱えた。よく覚えてはいないが、昨夜感じた絶望と同種類の感情に渦巻かれつつあった。
「あんまりだ」
 その落ち込みように、薫は珍しく慌てて肩をゆすってきた。
「やだなあ、いつもの軽口じゃない。こんなのジョブでしょ。どうしたの」
「どうしたもこうしたも……」
 薫は、やや決まりが悪そうにして、
「いや、だってさあ、二人で変なパーティでもやったのかと思ってたんだけど」
「やってませんよ。それでちょっと怒ってたんですか?」
「……ちょっぴりね」
「だからって、鼻血が出るまで叩くことないと思うんですが」
「いやだ。そんなことしてないって。鼻血はあたしが叩く前から出てたわよ」
「……え」
 いつ出したのかも定かではないが、そこまで追いつめられていたことに気づいて恭二は身の毛がよだつようだった。
「……鼻血を出してる人間のほっぺたをビンタしてたんですか」
「だって、起きないんだもん」
 最初はやさしく起こしたのよ、とすました顔である。
「……そもそも、薫さんがこんなお茶をよこすから」
 手に持った虹色の袋を握り締める。知らず力が入り、袋の端から茶葉がぼろぼろこぼれていった。
「だって、お茶でしょ? ただのお茶」
「違いますよ! 明らかに違いましたよ! どこで手に入れたんですかこのお茶」
 薫は記憶を辿る眉間を潜めて、自らの脳内を見るように目を細めた。
「ええとね、たしか……治安の悪い小さな町のうらぶれた路地で、着古したニッカポッカをはいて、上半身マッパで腕輪をじゃらじゃらつけて刺青を入れまくったひげもじゃの男に……」
「怪しい! それ明らかにただのお茶を買う状況じゃないですよ!」
「うるさいなあ。偏見はよくないのよ。いいお茶持ってない? て聞いたら、イイモノアルヨーって親切に案内してくれたんだから」
「怪しい! 怪しすぎる! ていうかよく無事でしたね薫さん。ていうかこのお茶、よく税関を抜けられましたね?」
「だてに世界は巡ってないからね」
「ちょっとかっこいいけど、すごく迷惑です」
「ひどいな坂上は……。それで、これがそのお茶?」
 ふきんをつまむ薫の指先が汚いものをつまむ手つきになった。
「薫さんだって怪しいもの認識してるじゃないですか……」
「いや、そんなことないって。そんなに危険なものだってわかってたら、そもそも持ち込まないわ。さすがに。でも、ねえ」
 薫は恭二の肩をつかみ、強く力を込めた。
「生きててよかった!」
「……よかったですね……本当……死ななくて……」
「うん、よかった! 本当によかった!」
 薫の目の中に本物の安堵を見てとって、恭二は深く脱力した。


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