小夜嵐

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ほっとけ 32 


 昨夜から数えて数時間、やっと自由の身になった山本は、体中の関節をバキバキいわせながら立ち上がった。背伸びをしながらふらふらとドアに近づくのを、薫が制止する。
「ちょっと、逃げないでよ」
「……わかってます。トイレどこですか? ずっと拘束されてたんで、もう限界なんですけど」
「あ、俺が案内します」
 恭二は山本の先に立って歩いた。別荘といっても、品川家の親族一同で使いまわす保養所のようなものだから、そう広くもない。小ぢんまりとした趣のあるログハウスで、周囲には東屋と物置以外には木や草がうっそうと繁茂するばかりだ。
 トイレへの途中で、恭二は山本に心から謝罪した。
「すみませんでした」
 深々と腰を折る恭二の後ろ頭をとんとんと叩いて、山本は深く息を吐き出した。
「いや、俺もいろいろと、すまなかったよ。……お前も大変なんだな」
「先輩……!」
 思わず頭を上げようとするが、山本の手がまだ乗っていて床に向かって平行になった背筋が痛い。
「先輩」
「大変なのはわかるんだけどな。今回のはちょっとひどくないか?」
「は、はい。本当にすみませんでした。反省してます」
「お前も流されすぎなんだよ。あの、部長といい……吉岡さんといい……」
「……すみません……」
「謝ればいいってもんじゃないだろう。誘拐はやりすぎだろ。ていうかなんなんだよあのやりたい放題は。お前の上司はあんなんばっかりかよ」
「……おっしゃるとおりです……」
 そろそろ腰が限界を迎えるころ、山本の手がすっと引いて、恭二は膝を揺らして向き直った。たたらを踏みつつも、まっすぐに視線を合わせる。
 山本はふっと笑むと、
「まあ、やっちまったもんはしょうがないよな……」
 命の危険もなさそうだし、と、どこか面白そうな顔をして、トイレへと消えていった。
 どうやらそれほど怒ってはいないようだ、少なくとも冷静でいてくれている、と胸を撫で下ろしながら用が済むのを待っていると、キッチンから佐々木がふらりと出てくるのが見えた。
「佐々木さん」
「あー、坂上くん……」
 顔の表情が絶望を形作っている。
「どうしたんですか? まるで、アイスが溶けたみたいな暗い顔をして」
「アイスが溶けたのよ!」
「再起不能だったんですか?」
「今、冷凍室に入れてるけど……冷蔵庫のコンセントさっき入れたばっかりでまだよく冷えてないみたいだし……氷系でも、クリーム系でも、アイスは一度溶けるとだめなの……アイスとしてのアイデンティティを失ってしまうのよ……再び凍らせても、まったく別の存在になってしまうのに……ああ、なんてことを……薫さんのバカ。坂上くんのおたんちん」
「なんで俺まで……おたんちんてどういう意味ですか」
「辞書をひきなさい」
「はあ、じゃあ後で調べておきます」
「素直な子……ちょっと癒された気がするわ。アイスの代わりにはならないけれど」
「俺はアイス以下ですか」
「だって、一個三百円もするアイスだったのよ!」
「俺の値段は三百円以下ってことですね……」
 ジャア、と水音がして、山本が「何か拭くもの持ってないかー?」と濡れた手をぱたぱたしながら出てきた。佐々木がジーンズのポケットからハンカチを出して渡してやる。
「あ、すみません」
「トイレにタオルなかった?」
「見当たりませんでした」
「そっか、じゃあ、出しておかないとね。タオルどこにあるかなあ」
 つぶやきながらバスルームの方に行ってしまった佐々木を見送って、残された二人はのこのことリビングへ戻った。
 そこで彼らが見たものは、携帯電話でなにやら話し込んでいる薫の姿だった。
「はい、そうなんですよー。もう、大変で……すみません、会社の皆様にもご迷惑をおかけして……あ、いえいえ、お見舞いなんて結構ですよ。すっかり連絡が遅れてしまって……お忙しいところ申し訳ありません。もう、こちらでじゅうぶん……はい、本当に……よろしくおねがいします。晋也にも伝えておきますので、ありがとうございます」
 自分の名前が出たくだりで山本が顔色を変えた。よくよく見ると、薫が使っているのは、山本の携帯である。
「な、に、を」
「あら、もう戻ったの? トイレ使えた?」
「何を……してたんでしょうか?」
 薫が優雅なしぐさでパチリと音を立てて携帯電話を閉じる。嫣然と微笑んだ姿に圧倒されたように首をまわした山本は、恭二を凝視した。
「何を?」
「……考えたくありません」
「考えるんだ。思考の停止は破滅を招きかねんぞ。いや、考えるんじゃない。ここは直観を大事にすべきじゃないか? あの女ボスは何をやっていた?」
「先輩の携帯を使ってどこかに電話をしていました!」
「そうだ。それは間違いない。どこへかけていた?」
「おそらく、先輩の会社かと」
「正解」
 薫が山本へ向かって携帯電話を放り投げた。
「まどろっこしいことやってないで、ストレートに訊きなさい。このあたしにね」
「そんなこと、きちんと段階を踏まないと、怖いじゃないですか!」
「そんなぶりっ子処女みたいなこと言ってたらお婿にいけないわよ」
「いろいろツッコミたいんですけどっ」
「先輩! だめです、シモネタに巻き込まれちゃいけません!」
 ハッと目が覚めたような顔をして、山本は血が上った頭をおさえた。
「俺は一体、何を……」
「チッ、坂上、なかなか鋭いじゃない」
「これでもシモネタには鍛えられてるんです。負けません」
「ありがとう、坂上。おまえがいなかったら俺はどうなっていたか……それにしても、おまえがそんなにシモネタに詳しいとは知らなかった」
「詳しいんじゃないんです。無理やり慣らされてしまったんです」
「それもシモネタ?」
 薫が口を出し、恭二が「違いますよっ! 何でもかんでもシモに持っていかないでください!」と噛み付くように言った。
「いや、今のは純粋な疑問だし」
「そんなところに疑問をはさむところが既にダメなんです……! 先輩はピュアな紳士なんですから、変な世界に連れて行かないでくださいっ」
「失礼ね。そんなに変じゃないわよ」
「変な人はみんなそう言います」
「そんなことより、何か訊きたいことはないの?」
「あっ!」
 山本が再び我に返る。
「そうだ! 俺の携帯で会社にかけて、一体何を喋ってたんですか!」
「会社の人怒ってたわよ。連絡も取らずに三日も休むなんて、社会人として、しちゃいけないことよ」
 ぐっと言葉を喉に詰まらせる。耐えるように何かを飲み込んだ後、震える声で、
「あなたには、関係ないことでしょう」
「もう関係しちゃったもの。しょうがないでしょ」
「しょうがないとか、そういう問題じゃないです。人を誘拐するわ、携帯を勝手に使うわ……それで、俺の会社に何の用があったんですか? 身代金でも要求したんですか」
「営利目的じゃないって言ったでしょ」
「じゃあ、何です」
「ごく、常識的なことよ。急性の肝硬変で入院したから、しばらく有給くださいって連絡を入れたの」
「……誰が?」
「あたしが」
「いえ、誰が、肝硬変なんですか?」
「あなたが」
 山本はゆっくりと瞼を閉じた。その表情は穏やかにも見えたが、何かを堪えているようにも見えた。鼻腔がやや膨らみがちである。
「おい、坂上」
「は、はい!」
「肝硬変に、急性ってあったっけ?」
「え、……さあ……あまり詳しくなくて」
「あたしもよく知らないけど」
「よく知らない病名でかってに人の有給とったんですかっ!」
 カッ、と目を見開いて山本は吠えた。そろそろ我慢の限界ではなかろうか、いくら人間のできた山本とはいえ、ここまでされては堪忍袋の緒が切れてもおかしくはない。もしそうなったら、一体何が起きるのか……恭二は怯えと後悔で脹らむ腹を知らず知らず押さえた。
 そんな周りの心境をわかっているのかいないのか、薫は平然と、
「ごめんね、有給取れたかはわかんない。上と相談して連絡くれるって言ってたけど」
「そんないい加減な」
「いい加減なのはあなたでしょ。あなたの同僚、いきなり無断欠勤されて心配してたわよ」
 そこを指摘されると何も言えないらしく、山本はぐっと体を固くした。
「だから、あたしのしたことって、むしろ人助けじゃない? よくできた姉を装ってまで会社に偽装電話をかけてあげて、社会的な生命線を救ってあげたのよ! おまけに、失恋から立ち直るまで、この別荘を貸してあげようっていうんだから、天使が舞い降りたようなものよ」
「問答無用の人助けって、おせっかい、ていうんじゃないですか」
 薫の言葉と状況を飲み込むのに苦労しているのか、あえぐように、それでも反論する山本は、頭痛を押さえ込むがごとく、あるいは涙をこらえるように目の辺りを握りこぶしで覆っている。
「ていうか、なんで俺が失恋したって知ってるんですか? むしろどこまで知ってこの犯行に及んだんだ」
「話は坂上から全部聞いた」
 思わず肩が一センチほどびくりと跳ね上がってしまう。やましいことはないはずなのに、と恭二は体が縮んでいくような神経をもてあました。
 山本の手がゆっくりとほどけ落ち、赤くなった目の淵が現れる。
「貴様ー」
 か細い声を吐き出して、両脇でこぶしがぶるぶる震えている。
 しまった、また地雷を踏んだのか、と恭二はこめかみの辺りに汗の玉ができるのを感じていた。
「えっと、話しちゃいけませんでしたっけ」
「どこまで話したぁ~」
 二人は、まるでカバディでもするような体勢でじりじりと距離をとった。
 そんな距離感をものともせずに、薫がさわやかに言い放つ。
「コモド女が坂上めがけて突進したのに巻き込まれる形で山本さんが吹っ飛ばされたとこまでよ」
 山本はガクリ、膝を落とした。床を掻くように指先を曲げ、喉の奥から重たい音を搾り出す。
「コモド女って……吉岡さんのことですか……?」
「そんな名前だったかしらねえ」
「坂上ぃ……よくも吉岡さんに妙なあだ名をつけてくれたなぁ……」
「俺じゃないです! 命名は薫さんです! 俺はどうしたらいいか、今後の対応について相談しただけなんです……! 本当です!」
 せっかく和解できたようなのに、また話がこじれてはたまらない、と恭二はできる限りの自己弁護をふるった。だが山本は、こころの傷口が開いたのだろうか、なかなか顔を上げない。
「ふられて尚、本性を曝した相手をかばおうとは……なかなかできた人ね、山本さんて」
 感心したように薫は言う。
「大丈夫よ、そんなコモドな女に関わらないですんで、むしろよかったって。世の中にはもっと素直でかわいい、山本さんと相性のいい女の子がいるかもしれないんだから、たかが失恋にこだわらないで、次にいきなさい、次に」
「次に……」
 ふっ、と顔を上げる、その体から妙な力みが取れている。
「次に、いってもいいんでしょうか?」
 薫に訊ねる、その表情は奇妙に無垢というか、純粋といおうか、人によっては呆けている、と称するかもしれない。恭二はつき物が落ちたようだ、と感じた。
「いいわよ」
 自信満々で薫が頷く。
 山本が魂の底まで震わせるようなため息をこぼした。
「……入社した当時からの片思いだったんです。新入社員で、右も左もわからなかった俺に親切にしてくれて」
「ありがちねえ」
「心底、かわいくて、おとなしくて、いい人だと思ってた吉岡さんに、あんな……情熱的な面があったなんて」
「今、言葉を選んだわね」
「……動物的な面があったなんて」
「人間だって動物よ」
「薫さん、デリケートな告白にツッコミ入れるの止めてください。ひやひやするじゃないですか」
 二人の間でおろおろしていた恭二がこそっと薫に注意を促した。
 いつしか山本は正座して、伸ばした背筋の高さからぼんやりと床を見つめていた。
「気に、するほどのことじゃ、ないのかなあ」
「えっ」
「つまり、俺はごく当然な失恋をしただけで、吉岡さん自体がどうこうっていうわけじゃない、ていうか。思い続ける必要のないところでぐだぐだしてても、報われないどころか、下手したらストーカーで、吉岡さんもそんなの迷惑だろうし」
「はあ」
 薫が棘のある声で突き刺すように言い放つ。
「かわいいと思ってたけどとんでもないコモド女だったから見限りたいけど、今まで好きだった気持ちを大事にしたいとか、坂上がいなかったらコモドの本性を知ることもなかったのに、とかうだうだ考えて鬱陶しいことしてたんでしょ」
「がっ」
 山本が、言葉に殴られたように再び床に沈んだ。
「先輩ー!」
 恭二は駆け寄ってぐったりした体をかかえた。
 自らを抱きしめるように寄った両手にシャツが絡み付いて、人魚のミイラをほうふつとさせる苦悩のありさまである。
「ひどいです! 薫さん! 弱ってる先輩に毒を盛るようなまねをするなんて!」
「真実はいつも胸に痛いものよ。それを乗り越えないと強くなれない」
「今の先輩に必要なのは静養であって鍛錬じゃないと思います」
「だから、静養しろって言ってるんじゃない」
 薫はおもちゃに飽きた子供の顔で立ち上がった。うん、と背を伸ばして関節を鳴らす。
「じゃ、あとはよろしく」
「あとって……」
 恭二の膝元に鍵の束が飛んできてちゃりんと音を立てた。
「これは?」
「ここの鍵」
 恭二はため息を吐いた残りで絞るような声を出した。
「やっぱり……本気なんですね」
「こういうことは、強烈な刺激と一緒にやっちまうと、効果が高いっていうじゃない。ショック療法のあとに穏やかな日々。失恋治療としては完璧ね」
「先輩が完璧に瀕死なんですが。誘拐とか、物理的なショックはともかく、さっきの精神的なショックは余分だったんじゃないですか?」
 ぐったりした山本の耳はもう何も聞こうとはしていなかった。薫はこともなげに、
「そこはそれ、あんたが看病して元気にしてあげればいいじゃない」
「それはいいんですけど……仕事の方は、あれ本当に大丈夫ですかね?」
「平気だって。何かあれば連絡くれればいいし。今はネット環境があればなんだってできるんだから。ノートパソコン持ってきたでしょ?」
「はい、設定とかは問題ないと思います」
「よし。じゃ、サポートはあたしと佐々木ちゃんでしてあげるから」
「……ありがとうございます」
 恭二は薫に向き直って、きちんと正座した。
「なんだかんだ言って、先輩のためにいろいろ骨を折ってくださって、感謝してます」
 と、頭を下げる。
「……成果はともかく」
 薫は大またで恭二の前に来ると、頭を両脇からこぶしで押さえ、ぐりぐりと捻った。
「いたいいたいいたいです薫さんマジで痛い」
「あんたはいい子だけど、ちょっと最近一言多くなってるわねえ」
 どう考えても環境の影響です、とまでは言うことができず、恭二は状況を沈黙に任せた。


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