小夜嵐

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ほっとけ 28 


「おはようございまーす」
「坂上くんちこくー。わあ死相が出てるよ」
 まてりあに着くと、佐々木が目を丸くして恭二を迎えてくれた。
 恭二はキッチンスペースに備え付けられた鏡を覗き込んだ。心なしか死神にとり憑かれている。
「わあ本当だ」
「どしたの? 一日でぐっと老け込んだよ」
「いろいろ恐ろしい目に遭いまして」
 めったに使わないコーヒーメーカーを操作して、一番濃い目盛りにセットする。特濃コーヒーが出来上がる間、恭二はぐったりとその場に座り込んだ。なんとなく、椅子に座る気がしなかった。しゃがむと股関節が刺激されて気持ちがよい。肺の奥から息を吐き出す。
 横から佐々木が心配そうに声をかけてくれる。
「絶望したヤンキーみたいになってるよ。大丈夫?」
「例えがわかりにくいですけど、大丈夫です。たぶん」
 コーヒーの煮える音がぼそぼそと響く。できあがった地獄のように熱く黒い飲み物を自分用のカップに入れ、ずずっとすすると少しだけ気合が入った気がしたが、すぐに後頭部へ抜けるような苦味が体内の酸素を急激に消費したような軽いめまいを感じて、慣れない飲み物はやめておけばよかったと後悔するものの、まだなみなみと入っているカップを手にして世界で独りぼっちになった。隣で佐々木が不思議そうな顔をする。
 その世界を打ち破ったのは階段を上がってくる足音だった。急にコーヒーの香りが心地よく楽しいものに思えてくる。あれは薫のパンプスの音だ。ついたての向こうに鮮やかな色彩が見えて知らず胸が高鳴る。
「おはよう!」
「お、おはようございます」
「おはようございます。薫さんは上機嫌ですねえ」
「うん。そうなの」
 自分の机にどさりと鞄を置くと、二人を振り返っていきいきと語りだした。
「おじさんが急に張り切りだしてね、自分で会社作るとか言い出して。もうここには来ないって」
「え、それ大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。今度はおばさんもついてるから、なんとかなるでしょ。老後の楽しみの一環くらいに思ってればさあ。アドバイスもしやすいし。ここでだらだらくだを巻かれてるよりはずっといいわよ。みんなには迷惑かけちゃったけど、これでひと段落」
「よかったですねえ」
「うん、ほんとに……。あ、坂上がコーヒー飲んでる。珍しー」
「はあ。まあ」
 薫に見とれていたせいもあるものの、未だポカンの呪縛から逃れ切れていない恭二に不審を感じたのか、佐々木に「どうしたの、この子?」と薫が訊ねる。
「それがですね、なんだか恐ろしい目にあったとかで、さっきからずっと変なんですよ」
「恐ろしいって?」
 今度は直接恭二にご下問があった。
「はあ、それが……」
 何から話していいのかわからない。仏壇とおっさんの関係については、説明に要するエネルギーが今の恭二には絶対的に不足している。今は、妙な話を信じてもらうために無用なダメージを受けたくはない。雅彦のことから話すべきか。しかし雅彦は今回会社を立ち上げるに至った詳細を語ってはいないらしい。余計な茶々は入れないほうがよい、と判断して、吉岡と山本のことを話した。
「ひょえー、三角関係」
「佐々木さん、やめてください。そんなんじゃないです」
「そうねえ、三角っていうよりは、獲物めがけて一直線に駆け寄ったコモドドラゴンの尻尾に山本さんが吹き飛ばされた感じね」
「獲物って誰ですか」
 二人の女性の視線が恭二に当てられた。いたたまれず伏せられた恭二の目頭に涙がじわりと滲んだ。
「……コモドドラゴンって……」
「コモド島など、インドネシアに生息する大型爬虫類よ。現代の恐竜って呼ばれてるわ。ひなたぼっこをしているときは緩慢で、でっかいトカゲにしか見えず、愛嬌があってなかなかかわいいけれど、牙に強い毒気を持つ、獰猛で危険な生き物。それに執念深くて、ひとたび獲物を捕捉するとどこまでもどこまでもそれはもうしつこく追いかけて……」
「もうやめてください!」
 昨日の恐怖を思い出して、恭二は身震いした。「妙な生き物に詳しいですね」と佐々木は感心している。
「そりゃ、世界中あっちこっち買い付けにまわってるから。それにしても、相当なトラウマになってるわね」
「肉食系女子、ならぬ、コモド系ですか……。災難だったね」
「うっ……。……俺のことはいいんです。もう。それより先輩が心配で、この先どうしたらいいのか……」
 佐々木が同情したように口元を覆った。
「山本さんていい人なのね。好きな人が目の前でコモド化しちゃったら、そりゃあショックよねえ」
「……佐々木さん、肩が震えてませんか」
「ううん。そんなことないよ。笑うわけないじゃない。山本さんがあんまりかわいそうで、ちょっと泣けてきて……」
「じゃあなんで顔を背けてるんですか。こっち向いて涙を見せてください」
「それはちょっと……」
「坂上ー、女の涙は見て見ぬ振りをするもんだよ」
「はい」
「……坂上くんは薫さんの言うことなら素直に聞くのよねえ」
 佐々木が面白そうな顔で恭二を見て、にやりと笑う。恭二は見て見ぬ振りをすることにした。
「それにしても、山本さんも気の毒ね。そんなに再起不能なの?」
「今のところ……」
 困ったように眉をひそめた薫が、思いがけないことを口にする。
「おじさんがね、山本さんのことを引き抜きたいって言ってて」
「ええ?」
「知らなかった? あんたんちに遊びに行ったときに意気投合したって。重役待遇で迎えたいから坂上から話をしといてくれって頼まれたんだけど」
「それは……どうでしょう」
 再起不能ではなかったとしても、そんなベンチャーすぎる会社に転職するような山本とは思えなかった。
「話すことは話してみますが、望み薄だと思いますよ」
「まあ、そうだとは思ったけど。一応お願いするわ」
「はい」
 それが話の区切りになったようで、薫も佐々木もそれぞれの仕事に戻っていった。恭二は手に持ったコーヒーを一口がぶりと飲み干し、再び酸欠に喘いだ。


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