小夜嵐

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ほっとけ 23 


 明け方の冷たい風に頬をなぶられて目が覚めた。どうやらあのまま床で寝てしまったようだ。恭二はバリバリに張った背中をさすりながら身を起こした。
「さぶ」
 夏とはいえ早朝は肌寒い。シャツの袖をごしごしこすりながらぼんやりと部屋を見回す。ローテーブルの向こうに山本がころがっている。あまりに静かなので、寝ているように死んでいるのではないか、と不安になって慌てて呼吸を確認する。顔色は悪いものの、死んだように寝ているだけだった。ややほっとするものの、冷や汗をかいてしまう。
 ベッドの上には雅彦が相変わらず大いびきだ。一晩窓を開けたのだから、酒臭さは薄らいでもいいようなものだが、不思議なことに未だ臭気が漂い、時折鼻先をツンと嬲る。この上部屋が荒れていたら目覚めが悪いことこの上ない。無理をしても昨夜のうちに掃除をしておいてよかった、恭二は昨夜の自分を褒め称えた。
 窓を閉め、時計を見ると、まだ六時である。二度寝しようと横になってみるが、床が冷たく固いせいか、疲れはとれていないのに、妙に目がさえて寝付けない。何度も寝返りを打つうちに、仏壇の中のおっさんが目に入る。ついついそのまま見つめてしまう。
「無害だなあ」
 少なくとも、雅彦よりはおとなしいし、絡んでもこない。それに、昨日は雅彦を諌めるようなことを言ってくれた気がする。
 恭二はのろのろ起き上がると、お茶を淹れておっさんの前に供えた。リンを鳴らして「ゆうべはお騒がせしました。それと、ええと、ありがとうございます」と手を合わせてみた。おっさんは、「ん」と頷いて、そのまま足元の茶から立ち上る湯気に目を細めていた。
 自分にもお茶を淹れて、仏壇の前に正座してすする。少し冷えた体に熱く心地よい。背後からはいびきの音が断続的に聞こえてくる。なにやら不明瞭な寝言も発声された。
 仏壇に向き合ってお茶をすすりながら、恭二はおっさんに親愛の情を感じずにはいられなかった。この部屋の中で、唯一のまともな存在がおっさんであるような気すらしたのだ。
 湯飲みを脇にどけて、姿勢を正し、両手を合わせ、伏し拝もうとしたそのとき、ベルが鳴った。びくりとして玄関を注視する。
 ビーッ、と可能な限り長く鳴らしている。こんな鳴らし方をする人間は知り合いにいない。朝早くから、いったい誰だろう、と不審に思いつつドアを開けた。
 ふわふわの洋服を着た、可愛らしい女性がこころもち背伸びをするようにして立っている。
「……吉岡さん」
「きちゃった」
 なんだか古い行動パターンだ、吉岡はいったい何歳なのだろう、という疑問がわき上がってくるが、もちろん声には出さない。
「どうしたんですか? こんなに朝早く」
「坂上さんに早く会いたくて……」
「え」
「夜だと、山本さんとかち合っちゃったりしたら、嫌じゃないですか。それに、朝なら絶対いると思って。邪魔も入らないかなって」
「邪魔?」
 言葉に食い違いがあるというか、妙な噛み合わなさを感じて、恭二は後ずさった。
「だって、恭二さん、携帯の番号渡したのにちっとも連絡くれないし」
「番号?」
 いつどこでそんなアプローチをされたのだろう。記憶にない。
「もう、渡したじゃないですかあ。紙ナプキンの端っこに書いたのを」
「え?」
 必死になって記憶を掘り起こす。そういえば、山本の部屋でホタテのバター炒めを出されたとき、「ほっぺにバターがついてますよ」と吉岡にティッシュをもらったような気がした。
「まさかあのバターを拭いたやつが……!」
「よく見なかったんですか?」
「え、だって、そんなこと」
「そういうところがかわいい」
 人差し指で唇をつつかれて、恭二の背中に鳥肌が渦巻いた。快感によるものではない。
「わたしね、恭二さんのこと見たの、金曜が初めてじゃないんですよー」
 吉岡に押されるようにして、一歩、また一歩と室内へ近づいていく。
「いつだったかなあ、飲み会でね、山本さんが写メ見せてくれたの。自慢の後輩だって」
 ダイニングは狭い。もう後がない。すぐ仏壇ゾーンに入ってしまう。
「そのときにね、わたし、一目ぼれしちゃったみたい……」
 吉岡のうっとりした目に、自分が映っている。驚きのあまり、かかとを敷居にぶつけてしまい、恭二はしりもちをついた。そんな恭二に追い討ちをかけるように、「わたしね、恭二さんになら……」恐ろしいことに、吉岡はブラウスのボタンを外し始めた。指先は恥らっているが、行為は恥じらいとは無縁である。
 ひい、と恭二は心で叫んだ。そして、とっさに「おっさん、助けて」と願った。
 なぜおっさんに助けを求めてしまったのかはわからない。非常識な展開ゆえに、超常識的な存在が功を奏することを期待したのかもしれない。吉岡にはおっさんは見えないはずだったが、もしかしたら次の展開があるかもしれない。おっさんが仏壇から出てくるとか、あるいは無限に出てくるとか、そういう、スペースホラー的展開でもかまわない。この状況よりは、好い、と、恭二は本気で思った。
「助けてくださいっ……」
 半分泣きながら、仏壇に向かって手を伸ばす。おっさんは、その手に応えてくれた。
 ぐっと突き出された握りこぶしの、親指だけが、立っている。おっさんは、かつてなく力強いそのポーズで、にまり、と深くうなずいた。
「ひどい!」
 なんじゃそりゃあ、とか、どこでそんなジェスチャー覚えた、とか、言いたいことや言うべきことがいろいろありすぎて、恭二は感情のままに叫ぶしかなかったのだった。
「なに仏壇に話しかけてるんですか? へんな人」
 吉岡がじれたように恭二にのしかかってきた。
「わあ!」
 半ブリッジ状態で、腕の力だけを使って背後に逃れる。窓の冷たい気配を感じた。
「なにって、なにって……仏壇におっさんが……」
 無害なおっさんがいる。無害とは、役立たずの別名でもあった。改めて思い知らされる。
「まだそんなこと言って。冗談はもうそのくらいにしましょうよ」
「冗談? なにが冗談です?」
「だって、それ、わたしと出会うためについた、うそでしょう?」
「うそぉ?」
「そう、だって、そのうそがあったから、わたし、恭二さんと自然な出会いができたんだもの。わたしと会いたくて、そんなこと言っちゃったんですよね? でも、もうそんな荒唐無稽な話、しなくてもいいんですよ」
 先ほどからずっと感じている、話の齟齬がどんどん大きくなってきていた。どこかつじつまが吹っ飛んでいる。
「自然って……いや、それはともかく、吉岡さんだって納戸のおばあちゃんの話してたじゃないですか!」
「あんなの、うそに決まってるじゃない」
「へ?」
 吉岡はぽっと赤らんだ頬を両手でそっとおさえた。白いフリルシャツの隙間から黒いブラが胸の谷間を形作っている。
「わたしも、好きな人のためなら、うそだってつけちゃう人なの」
 論理の展開が理解できない。
 二日酔いが急にやってきたようだった。恭二の頭はふいに訪れた頭痛に重く沈み、胃の辺りがどくんどくんとせわしなく過剰労働しはじめた。胃酸が喉元までせり上がってくる。
「だから、恭二さんも自分を責めなくてもいいんですよ。わたしのためについたうそだもの。許してあげる」
 じわりと吉岡が近づいてくる。恭二は汗にまみれた手で自分を抱きしめた。もはや彼女のシャツは全開され、胸の谷間がこちらへ近づくたびにくびれたウエストがもにょりもにょりと怪しい動きを見せる。
「ね、恭二さん」
 おっさんは、異様ではあるが、無害だ。無害であるがゆえに、助けてもくれない。だが恭二はなおもすがるように仏壇を見てしまう。
 仏壇には……おっさんが、こころもち身を乗り出すようにこちらを覗きこんでいた。好奇心にあふれたその顔がつやつやしている。
「デバガメだー!」
「えっ?」
 驚いたようにまわりを見回す吉岡だったが、吉岡にはおっさんは見えない。吉岡に見えたものは、ローテーブルの下で目をぽっかり開けて脂汗をにじませた、山本であった。
「きゃあ!」
 吉岡は慌ててシャツの前を合わせると、身じまいをしながら床を蹴るようにして立ち上がった。
「最低! そんなところでのぞき見するなんてっ……山本さんの変態! すけべ! アボガド!」
 言うだけ言って、後も見ずに部屋から出て行ってしまう。行きがけの駄賃とばかり、積んであった缶・ビン類を思い切り蹴散らしていくので、残された恭二の鼻に、香水を含んだアルコールの風が強く匂った。
 その臭気が薄まって、よほど強く空気を嗅がないと匂わなくなったころ、ローテーブルの下から山本がぽつりと「なあ、坂上」。
「は、はいっ」
「俺は変態か……?」
「い、いえっ、いいえ!」
 どちらかというと吉岡のほうが、と思ったが、口にはしない。
「なあ、坂上」
「はいっ」
「俺は、アボガドか……?」
「いえ……」
 そういえば似ている、と思ったが、口にはしなかった。
 山本はのろりと起き上がる。額には乾いたティッシュが未だ貼りついていた。胡坐をかいたまま、しばらく何かに耐えるようにしていたが、やがて重たいものを背負うように歩き出し、玄関へと向かった。
「あ……」
 先輩、という言葉は口から出てこなかった。
 山本の煤けた背中が、ドアの向こうへと消える。安っぽい木のドアがきしむ音が断続的に聞こえ、隣の部屋から壁を通して微かな嗚咽が漏れ聞こえてきた。
 冷たく透き通ったテーブルの上で、アボガドが静かに存在を主張していた。


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