小夜嵐

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ほっとけ 16 


「部長ー。ぶちょー。大丈夫ですか?」
 おっさんが、おっさんがあ、とこぶしの利いたうわごとをうなる雅彦の額に、塗らしたティッシュを貼り付けながら恭二は問いかけた。まさか卒倒してしまうとは思わなかった。ぎゃあと叫んで部屋を逃げ出す雅彦の後姿に向かって万歳三唱をするつもりだったのが、すっかり予定が狂ってしまった。
「ああ、会社に行きたい。地道に働いてささやかな幸福を味わいたい」
 今にもしくしく泣きそうであった。そんな泣き言を叱るように、雅彦が「むがー!」と両腕を上げてゾンビのように復活した。顔に貼り付けられたティッシュを引き毟る。
「殺す気か!」
「今度はなんですかー、もうー」
 ほとんど泣きながら恭二は塗れティッシュをぎゅっと握った。指の隙間から水滴がぽたりぽたりと床にしみを作る。
「えらいことをしてくれなさる。えらいことをしてくれなさるー! コントじゃないんだよ! 死ぬよ! 顔に濡れティッシュ貼り付けられたら!」
 どうやらぼうっとしている間に、鼻と口も塞いでしまっていたらしい。無意識とは怖いものだ。しかしこのままでは殺人未遂になってしまう。未必の故意というやつだ。恭二はきりっと気合を入れて反論した。
「部長が気を失ったりするから、頭を冷やしてあげてたんじゃないですか」
「俺かよ! 俺が悪いのか! あんなもん見せられたら気くらい失うよ! 気絶だよ!」
「あはは、部長、ちょっとキャラ変わってる」
「おまえこそ! なんだよあれ!」
 勢いよく仏壇を指し示す指の先がわずか震えている。おっさんがむっつりしている。
「さあ」
「さあって、さあってさあ、普通、もうちょっとさあ、こうさあ……説明とか。そうだ説明しろよ。わかりやすく言えよ」
「わかりやすくっていわれても……わかんないですし」
「まさか! おまえ……」
 雅彦がにわかに青ざめ、尻をすべらせて恭二から距離をとった。自らをかばうように腕を前にかまえ、
「怪しいやつ!」
「いや、そんな……変質者を前にした女子高生みたいな態度をとられても……笑うところですか?」
「誰が笑いに走ったよ。いつだってまじめだよ俺は」
「だって……怪しいやつ! とかかわいこぶられても、リアクションに困るっていうか」
「かわいこぶってねえよ! おまえのこと何て罵ったらいいかわかんねんだもんよ!」
 今度は男子高校生みたいだ。
「罵らないでください」
「てか、あれだろ、あれ。ブードゥー?とか、密教?みたいな、悪魔系の呪いとかやってんだろおまえ。そんでアイデアを出せ出せっておまえを困らせた俺を呪いで仏壇に閉じ込めようとしてるんだろ!」
「こ……困らせてる自覚あったんですか……」
 初耳であった。そんな自覚があったならもっと良心を発揮して自分を放っておいてくれてもよかったのに、と恭二は落胆を隠せなかった。
「……なんていうか……ブードゥーと密教は悪魔系ではないと思いますし……呪いとも違うような気がするんですが……」
「呪いじゃなかったら何だよあれ! おっさんが仏壇に納まってんじゃん! 生贄とかじゃねえの!」
「そうか……生贄か……」
 雅彦の欲するところではないだろうが、新アイデアだった。恭二は目を開かれたような気持ちで仏壇の中のおっさんを見やる。
 仏壇に供えられたおっさんの生贄……。おっさんの供物……。どんな宗教だ。いや、恭二が知らないだけで、そんな宗教があるのかもしれない。しかし、
「それはどうでしょう」
 恭二の常識では仏壇におっさんを供える宗教をかりそめにも認めることはできなかった。そんな宗教があったとして、ならばあのおっさんはその宗教の犠牲の成れの果てである。そんなのいやだ、だってきもちわるいもん。というごく当たり前の感情が「ありえそうだ。ありえない状況だけに、ありえない宗教もまたありえそうだ」という判断をセーブした。
 こんなときはどうするべきだろう。恭二は数秒考えた末立ち上がるとダイニングへ戻り、急須にお湯を注ぎ、しばらく茶葉を蒸らした後、ごく静かに器に注いだ。湯気がふわり、現れては消える湯飲みをふたつ盆に載せ、雅彦の前へすっと置く。
「まあ、どうぞ」
「どうぞって」
 さすがの雅彦も途方にくれた声を出した。とまどった視線を湯飲みに注いでいたが、のろのろと手をつける。
「……では、いただきます。あちち」
 夏場に熱いお茶はちょっときつかっただろうか。それでも二人は香ばしいお茶を長い時間かけて少しずつすすった。お茶も尽きたころ、汗をびっしょりかいた雅彦が、
「坂上君。冷たいお茶ないかね」
「あいにく家で飲むお茶は熱々派でして。自宅には冷たい系のお茶は置いてないんです」
「そうか」
「ビールなら冷えてますが」
「よし、じゃあ、それをいただこう」
「いただかれるんですか」
「いただくよ」
 恭二はやむなく冷蔵庫を開けてビールの三百五十ミリリットル缶を二缶取り出すと、お茶を運んだときよりはやや雑作荒く雅彦の前に置いた。
 ぷしり、とすっきり快い音が蒸し暑い部屋に響く。ごぎゅごぎゅと、勢いよく喉を鳴り響かせてから、雅彦は息を思い切り吐いた。額に浮いた汗を、どこからか取り出したハンカチでごしごしぬぐう。
「しかし、何だね。この部屋にクーラーとかないのかね」
「扇風機がありますが」
「そんないいものがあったのか。早くつけたまえよ」
「はあ」
 部屋の隅の扇風機の首振り機能をオンにして、スイッチを入れる。心地よい風が部屋の中にぬるい対流を生み出した。
 恭二はずるずる元の位置に戻ると、結露のはりついたビール缶に指先を濡らしながらちびり飲んだ。麦の苦味が神経の凝りをほぐしてくれるかのようだ。雅彦も気持ちよさそうに首を回し、ハンカチでシャツの下を存分にぬぐって、
「よし、だいぶ冷静になったぞ」
「それはよかったですね」
「冷静になったから言うんだけどな、生贄はないよな。うん。ちょっと飛躍しすぎた。な」
「そうですか?」
「そうだよ。うん。あのおっさんはな、奇術の方だろう。サーカスだ」
「……え、サーカス?」
「うん、サーカス」
「それは確実に違うと思います」
 まだ生贄のほうが現実味がある。
「サーカス団の方は仏壇に立てこもるような不真面目で不利益なことはしないと思いますし、何より人によって見えたり見えなくなったりすることもないかと」
「なに? 人によって見えたり見えなかったり? それは本当か」
「はい。本当なんです。警察も呼んだんですが、見えなかったんです」
「なんだと……それじゃあ、まるで幽霊じゃないか」
「ええ、ですから、生贄のほうがまだ可能性が」
 それを聞くなり、雅彦は恭二を震える指で指した。
「怪しい人……?」
「罵らないでください」
「だってそれじゃあ、おまえが俺を苦しめるために仏壇におっさんを供えたってことになるじゃないか」
「なりません! 供えません! どんな儀式なのか見当もつきません!」
 恭二は精一杯主張したが、雅彦の怪しい人を見る目は変わらなかった。
「大体、部長を呪うためだけにどっかからおっさんを誘拐して仏壇に供えるような、そんなリスクの高すぎることする馬鹿いませんよ」
「わかんねえぞお。このご時世だからさあ、最近の若い者は何するかわかんねって」
「なんて理不尽ないいがかりなんだ!」
 恭二は、空に向かって吠えた。空と恭二を遮る天井に笑われた気がした。


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