小夜嵐

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ほっとけ 9 


 場所を山本の部屋に移して、飲み会が始まった。台所にあった雑多な食料で手早くおつまみだの惣菜だのを作ってしまった吉岡は、テーブルの上に料理を並べて「どうぞ」と勧めた。
 手伝いを断られた二人は手持ち無沙汰に掃除だの片付けだのをしていたが、それを合図に坂上宅から持ち込んだビールのプルトップをぱきぱきと開けた。
 グラスにあわあわとビールが汲み取られ、枝豆との対比が美しい。乾杯の後に、吉岡が語り始めた。
「子どもの頃のことなんですけど、お納戸に知らないおばあさんがいたんです」
「はあ」
 枝豆から豆をつまみ出しながら、唐突に始まった怪談に、恭二が間抜けな声を出す。
「大学に入る頃にはもう、見えなくなっちゃったけど、そういえば、随分長いこと」
「それは、やっぱりお化けなんですかね?」
「だと、思いますよ」
 一見、お化けの話をしているとは思えない朗らかな顔だった。
 吉岡の実家は現在地よりももっと田舎にある、木と土でできた日本家屋だという。未だに毎朝雨戸の開けたてをしなくてはならない古びた家だ。その家には、納戸があった。といっても、一畳ほどのごく小さく狭いもので、余った空間を活用しようという程度の職人のささやかな心遣いなのだが、階段下に作られた納戸は、天井もななめで入れておけるものもほとんどなく、古い雑誌が少し放り込まれているくらいで普段はその存在を忘れられている、そんな空間だった。
 七歳だった。吉岡は長女でいたずらもめったにしない、いわゆるいい子であったが、一つ下の弟がきかん気で、悪さをしてはしょっちゅう怒られていた。あるとき、弟が父親の灰皿を爆発させた。
「……灰皿って爆発するもんなんですか」
「表現はちょっと違うかも。でも、見事に割れたもので」
 灰皿はガラス製で、切子細工の見事なものであったが、弟はその上にマッチのキャンプファイアーを築いて遊んだのだった。しばらくは熱に耐えていた灰皿も、何度も繰り返されるうち、とうとう負荷に悲鳴をあげるようにして――。
 ぱきり、と真っ二つに割れた。
 弟は、大事な灰皿を壊した件と火遊びの件でかつてないほどに叱られたが、反省の色がなかった。それでとうとう納戸に放り込まれ、開かないように外からしんばり棒がかまされることになった。
「不思議なことに、入る前の弟と、出てきたときの弟は、まるで別人になっていたのです」
 放り込まれる前は不適に笑っていた弟が、納戸に入れられてしばらくして泣き喚いた。家人は放っておいたが、時がたつにつれて「出せ」という泣き声が「ごめんなさい」「出して」という懇願に変わってきた。となるとどうにも胸は騒いでしまう。結局一時間もたたずに弟は解放されたのであったが、出てきたときは顔面蒼白で「もうしません」「悪いことはもうしません」としゃくりあげていたという。それ以来、弟はひどい悪さをすることもなく、わがままが手に負えなくなっても「納戸に入れるぞ」の一言でぴたりと大人しくなったということだ。
「と、ここまでならよくあるちょっといい話です」
「いい話、です、ね……」
「ううん」
 山本が、納戸に入れられた気分になったのだろう、居心地悪そうに身じろぎした。吉岡に「顔色悪いですよ。嫌な話でしたか?」と心配されて、
「いや、特に意見があるわけじゃないんですが。悪いことの区別がつくようになってよかったと思います。ただ、その、俺、閉所恐怖症気味で」
 と言い訳をしている。
「へえ、先輩が」
 恭二には初耳だった。
「誰にもばれたことないんだからな。お前、話すなよ」
「はい」
「正直エレベーターも、ちょっと怖い」
「先輩は怖いものなしだと思ってました」
「誰にでも怖いものはあるだろ」
「怖いもの」
 吉岡がグラスを傾けながら話を戻した。
「納戸にいたんですよね」
 おばあさんが。
 山本と恭二は、思わず吉岡に意識を向けた。
 しわくちゃのおばあさんだった。
 弟の様子に不審を覚えた吉岡は、後で納戸で何があったのか問いただした。納屋から出された直後、弟は「おばけが」とうわごとを言っていたが、大人たちは暗いのが怖かったのだろうと気にもしていなかった。しかし吉岡には、子ども特有の勘が働いたのか、暗いだの狭いだのではない、何かがある気がしてならなかった。
「いわん。なんもない」
 家人にいいようにあしらわれた弟は、最初こそ強情をはったものの、やはり怖かったのだろう、姉に甘えるように「だれにもいわんといて」と白状した。
 弟は、暗いところも狭いところも怖くなかった。「納戸に入れるぞ」という脅しもせせら笑っていた。事実、納戸自体は怖くなかった。ずっと押し込められていれば狭い暗い怖さが身に沁みてきたかもしれないが、入ってすぐはまだまだ平気だった。そして、暗さに目が慣れてきて、うっすらまわりが見えるようになると、暗い狭い怖さどころではなくなった。
 雑誌の隙間に押し入れられた弟は、ふと視線を感じたという。目を凝らしつつ、ひょいと隣を見ると――。
 すぐそばに、古びた老婆の顔があった。
「ぎゃああああ」
 悲鳴をあげる。泣き叫んでも戸を叩いても外には出られない。「うるさいのう」と皺だらけの老婆は言った。「悪さしたな」とも老婆は言った。
「こんなところに入れられて」
「悪い子じゃ」
「ひとを哀しませちゃあ、いかんのう」
「どんな悪さした」
「悪いと思うたら、あやまらんとのう」
「ごめんなさいと、いわんとのう」
 特に責めるでもなく、こんこんと諭すようだった、と吉岡は思うが、弟は恐怖しか感じていなかったようだ。無理もない。肩が触れ合うほどのところにお化けがいて、悪いことをした自覚があったぶん、その恐怖は膨れ上がったろう。
 吉岡はその話を聞いて、納戸を見に行くことにした。
「怖くなかったんですか」
 恭二が訊いた。物好きな、とその表情が語っている。
 まだ少女だった吉岡は、怖くなかった。もう七歳であるから、分別はある。お化けは弟に「悪さをするな」と言ったのだ。悪いことをしていない自分が怖がる理由がない。それに、少女はお化けというものを見たくてたまらなかった。
 弟にも、もちろん親にも内緒でそっと納戸を引き開けると、積み上げられた雑誌の上に老婆が座っていた。「うわ、ほんとにいる」吉岡はあまりの安易さに拍子抜けした。
 吉岡家には父の母である老母がいたので、老人は見慣れている。が、その老婆は、自分の祖母とはまったく違う顔立ちをしていた。
 まず、丸い。顔も丸ければ、体つきも丸い。吉岡の祖母は全体的に鋭角的で、性格もきつい。よく母が泣かされていたので、吉岡は自分から祖母に近づかない。
 丸いといっても、老婆が太っているというわけではない。全体の印象に、にじみ出るような丸さがあって、そのままダンゴムシのように丸まってボールになって転がって行っても違和感がない、というだけである。
 吉岡は半分引き開けた納戸の扉の陰で困惑した。老婆が自分にまったく注意を払ってくれない。ちょっとくらいこちらを見てもよさそうなものだけれど。
「あの、こんにちは」
 思い切って挨拶をしてみる。と、老婆はゆっくりと吉岡の方を向いて、
「はい、いい子だね」
 と少しく笑んだ。
「と、ここまでならよくある怪談です」
 吉岡は話を切った。
「いや、なんかいい話だった」
「あ、俺もそう思いました」
 語り部の主体如何で話の印象は大分変わるものらしい。二人は老婆に好意を抱き始めている。
 吉岡はうれしそうに、
「いいおばあちゃんだったんです。血は繋がってないけど。あ、祖先の霊とかだったら、繋がってるのかな」
「その後も、納戸に?」
「しょっちゅう」
 吉岡はことあるごとにこっそり納戸に駆けつけた。最初は入り口で恐る恐る、回数を重ねるごとに近づいていき、まもなく隣の雑誌に腰を下ろして話し込むようになった。
「父も母も祖母も、弟ばかりを可愛がって自分には優しくしてくれない。お姉ちゃんだからって、そればっかり」
 いままで誰にも言えなかったことを、老婆に愚痴愚痴とぶちまけた。
「いつもほったらかしなのに、うるさいことばっかり言うの。家出したい」
「家、出てしまうんか?」
 老婆にはあまり感情がなさそうに見える。いつもとつとつと吉岡のいうことに耳を傾け、多くは相槌を打つにとどまる。吉岡は普段は無口なほうだったが、老婆の前で饒舌になった。
「だって、こんな家」
「こんな、はいかんな」
 老婆が反論することは珍しい。
「大事な家じゃけん」
 当たり前のことのように言われて、吉岡はむきになった。
「あたしのこと、大事にしてくれない、こんな家は大事にしてやらない」
 そんなことを言ったように思う。すると老婆は、不意に手を伸ばした。反射的に「打たれる」と思った吉岡だったが、老母の手はふんわりと吉岡の頭を撫でていった。
「あんたぁ、大事な子だよ。大事な、大事な子じゃけん。悪いところも、いいところも、あんたの大切なもんじゃ」
 きょとんとしている吉岡に、老婆は続けた。
「堪忍なあ。しんどいなあ。けんど、あんた、大事になあ。優しゅうなあ。みんなに、あんたに、優しぅなあ」
 そのころには吉岡の臍はだいぶ曲がっていたので、老婆の言葉自体には正直ぴんとこなかったし「何をぬかすか」とも思った。だが、声を聞いているうちに、涙がこみ上げてきて、押さえ切れなくなって、膝を抱えてしくしく泣いた。
 老婆はずっと頭を撫でてくれていた。




「なんか、優しかったんですよ」
 吉岡は酒に赤く染まった頬を笑ませた。
「それからずっと、おばあちゃんに甘えさせてもらって、少女はこうして立派な大人に成長したということです。とっぴんぱらりのぷう」
 だから見えなくなったときは悲しかったし、寂しかった、と吉岡はビールを手酌で注いだ。
「おばあちゃんはお化けかもしれませんけど、わたし、あんな人になりたいなってずっと思ってるんです」
 ああ、と恭二は口を開いた。
「だから、懐かしいって」
「そう。ね、ちょっといい話」
 隣からティッシュを取る音がかすかにした。見ると山本が赤い目を押さえている。もらい泣きしたらしい。気づかないふりで恭二が、
「いい話でした」
「その、見えなくなっちゃったっていうのは、どうしてなんでしょうね」
 礼儀正しく涙を見ないふりをされている山本は、何事もない風で疑問を投げかけた。
「それ、わたしもいろいろ考えたんですけど、やっぱり、大人になったからかな、って」
「ああ」
「子どものときにだけ見える、ていう」
「座敷童ですっけ?」
「あれはお前、大人にも見えるだろ」
「見えますねえ、座敷おっさん」
「ぶふ」
「仏壇おっさんじゃないですか」
 くだらなくなってきた会話に吉岡がちゃちゃを入れる。
「ふはは」
「でも、じゃあ俺らにおっさんが見えるってことは……」
「大人になりきれてないってことか」
 山本が難しい顔をした。吉岡が慌てた風もなくフォローしてくれる。
「それは、お二人がまだピュアーだからですよ、きっと」
 恭二は恥ずかしくなって目の前のビールを一気に呷った。
 ピュア。いい言葉だが、二十歳を過ぎて言われるとそこはかとない含羞を含む。
 吉岡は九時を過ぎた頃にはもう帰ってしまった。山本が「もう少し」と引きとめたが、のんびり帰りたいので、と断られた。吉岡の名残のホタテバターを摘みながら、山本は寂しそうに「あー」と嘆息している。
「吉岡さんのこと好きなんですか」
 山本の口からホタテが発射された。
「あ、いえ、みなまで言わないでください。なんなら気づかなかったことにします」
「お前はそういうとこほんと如才ないよな」
 いつわかった、と、蛸が茹でられたような顔色で睨まれるが、恭二は「いつとはなく」とお茶を濁した。
「お似合いだと思いますよ。シャープな先輩と、ふんわかした吉岡さん」
「そ、そうか?」
 あっという間に相好を崩した山本は、恭二にビールを注いでくれた。
「前からいいなって思っててさあ、実は結婚も考えてる」
 恭二の口からビールが発射された。ホタテと違って液体なので始末が大変だった。
「お前なあ」
「すみません。いきなり結婚とか言いだすんですもん」
「やっぱ考えすぎかなあ」
「まだつきあってないんでしょ?」
「しかし、もうそろそろ結婚を前提にしたい年頃だし」
「先輩が? 将来設計な男だったんですね」
「俺じゃねえよ。吉岡さんがだよ。適齢期すぎてるし、もうそろそろだろ?」
「あー、そうなんですかねえ」
「若いもんにはわからんさ」
「先輩こそ、おっさんが見えちゃうくらいピュアなくせに」
「お前こそ」
 恭二は肩を落とした。急に酔いがまわってきたようだ。
「なんか、情けないです。自分ではもう大人なつもりでいたんで」
 親元を離れて、独り暮らしを始めて、自分ひとりのことならなんとかこなせるようになった。独りで生きていけるんだから、もう大人だと思っていた。
「それを言うなら、俺なんかどうなるんだよ。見えちゃってるんだぜ。この年で」
「年なんてたいして変わらないじゃないですか。にしても、先輩がピュアっていうのは、わかるんですけどねえ」
「どういう意味だ」
「いい意味です」
「そうか?」
「けど、俺の場合はなんか違う気がする」
「なんか、ってのは、何だ?」
「足りてないっていうか……俺、先輩みたいに強くないし」
 山本は片眉を顰めて恭二を窺った。
「お前らしくねえなあ」
「ですか?」
「いつもはもっとさばさばした、執着なさそうな感じじゃん」
「そうかなあ」
 そうなるように、がんばってきた。大人になりたくて、独りで生きられるようになりたくて。だが、
「いっぱいいっぱいです。どうせ、俺なんか」
「おいおい、落ち込んじゃってんの」
 ビールから日本酒に移り、山本秘蔵の大吟醸を抱え込み始めた恭二を意外そうに眺める山本が「ほとほどにしとけよ」と声をかけてきた。
「うう、ほっといてください。この幸せもの」
「まだ幸せになってねーよ。これからだよ」
 つまみも食え、とアスパラベーコン巻きが目の前に出される。一つ二つ口に放り込んで噛んだ。
「俺、吉岡さんがうらやましい」
 ベーコン巻きを酒で流し込んだ勢いでそんなセリフが口から飛び出した。「なに?」と山本が焦った声で調子を合わせてくる。
「お前、もしかして俺のことを……だがすまない。俺にはもう吉岡さんという心に決めたひとがいるんだ」
「違えよ!」
 酔いが回って加減が効かなくなった右足の蹴りが思いがけず山本にヒットして、恭二はその反動で寝転び、そのまま意識を失ったのだった。


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