小夜嵐

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ほっとけ 


 仏壇の扉を開けると、おっさんがいた。
 見知らぬおっさんだった。
 すみやかに閉めた。
 仏壇から距離を置きつつ、恭二は考えた。いや、考えることができなかった。頭の中は空っぽであり、次いでとりとめのない思考が脳を支配しようと湧き出してくるが、次から次へと漂白されたように消えていく。
 なぜ、おっさんが。
 かろうじてその疑問を胸に抱くと、恭二は床にへたりこんだ。
 わからない。
 なんだこのわからない状況は。
 二十五年生きてきて、これほど不可解な状況に追いやられたことなど、なかった。
 2DKの一角を占拠する巨大な仏壇は、叔母から預けられたものだ。自宅を改築する都合上、家から家具を出さねばならない。トランクルームを借り、大方の荷物はそこに詰め込んだものの、仏壇はそんなところに置きたくはない、と叔母は言う。
「借家は狭いし、どこにも行き場所がないのよう。ちょっとの間だけだから、あんたの所に置かせて」
 うちも狭いから、などと断る権利は恭二にはなかった。
 実家を出る際、親ともめた。そのとき仲裁をし、引越し費用を出してくれたのが叔母だった。のみならず、就職難にあえぐ恭二を知り合いの店に紹介してくれたのも彼女だ。おかげで恭二は食いはぐれることも、実家に強制送還されることもなくなんとか暮らしていけている。
 今も恩義を感じているし、金を返したからといって叔母を邪険にあしらうことなどできない。恭二はしぶしぶながら仏壇を置くスペースを作った。
 問題の仏壇は黒光り金光りしていて、派手で無駄に豪華だったが、よく見るとあちこち古ぼけて味わいがないこともない。一メートルを軽く超える高さと幅があり、やや装飾過剰なせいか、威圧感がはなはだしく、二メートルくらいに見える。材質はわからないが、どっしりと重くて運ぶのに二人がかりだった。仏壇には、運ぶ際扉がばたばたしないように目張りがしてあった。
 その目張りをはがそうとしたのは、部屋を占拠されてから一週間目のことだった。
 叔母から「ちゃんとお世話してる?」と電話がかかってきたのだ。なんでも、サカキという植物を供え、ロウソクをともし線香をあげねばならないらしい。
 実家にも仏壇はあったが、誰も省みることはなかった。母が線香の匂いを嫌っていたため、あの、どこか懐かしいような匂いを嗅いだことは数えるほどしかない。近年では、扉も閉め切りで、忘れられた部屋の隅で埃をかぶるばかりのようだ。
 作法など知らないが、叔母のいいつけとあらば仕方がない。仕事の帰りに花屋でサカキを買った。
 サカキは青々とした硬い葉をもっていた。酔うような強い匂いを発している。
 そういえば、と恭二は思い出す。
 そういえば、子どもの頃に母がこんな枝を捌いていた。顰め面をしながら花瓶に活けていたっけ。
 その後、葉がぽろぽろ落ちるのに嫌気がさしたらしく、造花が仏壇に放り込まれ、扉は閉ざされ、ほとんど開けられることはなくなった。
「確か、葉っぱが乾いてぱりぱりになるから、掃除がしにくいんだよなあ」
 茶色くひび割れた葉は薄焼きせんべいまたはラン・グ・ド・シャのように砕け、うっかり落として踏んだりしてしまうと畳や木地の隙間に入り込み、なかなか払いきれず、後始末に難渋したものだ。
 束の間、プラスティックのイミテーションにしようかと迷ったが、思い直して生気のあるものを選んだ。確かに掃除は面倒だが、枯葉になるほど放置してしまうのもどうかしている。小まめに手入れをすればすむ話だ。
 ふだん買う青物といったら惣菜コーナーのサラダくらいなもので、食べない植物を花屋で買うことが新鮮で楽しかったせいもある。
 ロウソクと線香は仏壇に備え付けてあるというので、引き出しを探したところ簡単に見つかった。ライター、お経や数珠も一緒に入っているが、使い方がわからないのでライターだけ取らせてもらう。
 さて、と仏壇の目張りをはずし、扉を開けたところで。
 おっさんだ。
 おっさんである。
 なぜ、おっさんなのだ。
 そのおっさんは、禿頭であった。あるいは坊主なのかもしれなかったが、別段袈裟を着ているとか着物を着ているといったこともなく、どちらかというと、洋装である。
 いや、洋装にどちらもこちらもない。ないが、おっさんが強烈な和の印象を発散していたため、どちらかというと、という曖昧な接頭語がくっつくことになる。
 白いシャツに、ベージュのスラックスを身に着けている。ベルトは黒い。おそらく牛革だ。靴下が白くぴっちりと足に張り付いている。
 年の程は初老にかかったくらいだろうか。もっと若いかもしれず、もっと年寄りかもしれないが判然としない。恭二には五十歳以上の具体的年齢を断定しきれるだけの経験はない。もはや「おっさん」と呼ぶほかはないだろう。
 標準サイズよりは大振りとはいっても、仏壇に入れてしまうくらいだから人間としては小柄である。そのおっさんが、膝を抱えて、体育座りで仏壇に収まっている。収納されている。
 恭二は一瞬でこれだけのことを見て取り、すみやかに扉を閉め、仏壇から離れ、冒頭のごとくへたりこんで自失した。
 恭二としては、できればいついつまでも自失していたかったが、人としての生存本能がこの状況に説明を求めて脳が動き出した。
 まず頭に浮かんだのは、犯罪の二文字だった。叔母、もしくはその家族がおっさんを仏壇に詰め、隠匿しようとしたのだ。
 隠匿してどうなる。意外に素早く自らに反論する。
 おっさんを隠匿してどうするというのだ。
 あれが死体だとして、何故仏壇に詰めて甥の家に運ぶ必要があるのだ。そんなものはない。万が一、叔母が完全犯罪をもくろんだとしても、それほどまでに愚かだとは思えない。血の繋がりからいって、思いたくない。
 第一、仏壇が運びこまれてから一週間だ。一週間もの間、気配も臭いもしなかった。あれが死体だとしたら、この暑い季節、腐らないはずがない。防腐加工されているとは思えない。そんな完璧な技術があるなら、加工する前に始末できるだろう。
 そこまで考えて恭二は赤面した。なにも犯罪にこだわることはない。発想が推理ドラマに侵されすぎている。
 臭いもなく、気配もない。狭い仏壇に押し込められ、運ばれたところで文句も言わぬ。要するに、あれは人形なのではないだろうか。そうに違いない。
 ちょっと変わったご神体とか、そのようなものだ。叔母の宗教観に興味を持ったことがないので、叔母の家がどんな信仰をしているのかも知らない。常識的に考えてありえない話だが、非常識が現実化している状況からしてその可能性は高い。
 ご神体だとして、それがなぜもさい服装のおっさんなのか、という疑問は残るが、日本には宗教の自由がある。何を拝もうが奉ろうが第三者に疑義をはさむ権利はない。
 ひとり焦った自分を恥じつつ、恭二は仏壇の扉を開けた。
 やはりおっさんがいる。
 いや、この場合「ある」といったほうがいいのだろう。ヒトではなく、モノなのだから。
 しげしげと見つめる。やはり人形だ。生気がない。
 禿頭のおっさんは清潔で埃ひとつかぶってはいない。叔母がよく掃除しているのだろう。細部までよく作りこんであって、皺のひとつひとつが柔和な印象を与える。福福しいとはいえないが、清貧な分、どことはなく神々しさを感じなくもない。目はよくある仏像のような半眼で、こころもち下方を見下ろすようにしている。
 仏には遠いが、神に寄って、人に近い。
 曖昧で微妙なありがたさだ。
 落ち着いたことだし、とりあえずサカキを活けねば。恭二は花瓶を持ってきて、供えようとするが場所が難しい。なにしろ仏壇いっぱいにおっさんが詰まっている。花瓶を置く余分な場所がないのだ。
「もうちょっと詰めてもらえないかなあ」
 呟きながら、おそるおそるおっさんの脚に手をかけ、押し込もうとした。
 目が合った。
 恭二の手から花瓶が滑り落ちる。
 恭二はそそくさとした動作で仏壇の扉を閉めた。充分な距離をとってから、ゆるゆると膝から崩れる。
 こぼれそうな心臓を感じて、胸を手で押さえる。動悸が激しい。おっさんと視線が合っただけでこんなに胸が痛くなるなんて、おかしなことだが別段恋に落ちたわけではない。
 目が合った。視線が絡んだ。
 よくあることだ、恭二は自分に言い聞かせる。人形と目が合ったとか、視線を感じたとか、よく聞く話じゃないか。
 気のせいだ、と何度も呟くが、気のせいではないと直観が告げている。まぶたが動いた。口の端がむっと下がった。
 なんか、動いてた。
「あれ、生きてるんじゃね?」
 恭二は途方に暮れた。
 あれが人形でないとすると、人間ということになる。しかも生きている人である。死んでいる人の方がよかったかもしれない、と恭二は思ってしまった。
 ここ二三日の間に不審者が入り込んだのだろうか。いや、仏壇が運びこまれてからずっと目張りは張りっぱなしだった。そんなことは不可能だ。飲まず食わずトイレに行かずで一週間、人間があんな狭いところに詰め込まれて平気なはずはない。いわば密室殺人、もとい密仏壇侵入である。現在進行形の不可能犯罪だ。独りきりで仏壇に入り、内から目張りを貼りなおすトリックでもあるというのか。あったとして、そんなもの、あってどうするのだ。何の役に立つというのだ。
 否、共犯者がいればそれも可能だ。だが、仏壇におっさんが入った後、目張りを張りなおす共犯者のメリットとはなんだ? それをいうなら、仏壇に不法侵入する利益とはなんなんだ。
 不可能だ。不可解すぎる。
 なぜ、おっさんなんだ。
 もしかしたら妖精さんなのかもしれない。仏壇に奉られている特殊な妖精さん。
「そんなわけあるか」
 恭二は抱えた膝に額をぶつけた。正気を取り戻したくて何度か強く打ち付けてみる。
 かなり無理があるが、あれが妖精さんだと仮定して、叔母はこのことを知っているのだろうか。知っていて押し付けたのか。だから「お世話してる?」なんて不自然な電話をかけてきたのかもしれない。この場合のお世話とは、サカキを供えたりロウソクや線香をあげたりお経を唱えたりする世間一般のお世話とは違う意味のお世話なのかもあるいは隠喩暗喩たとえ話空気読めということなのかもしれない。
 恭二は仏壇を意識してびくつきながらも携帯電話を手に取った。とにかく叔母に確認を取らなくては今夜眠れない。
 数回のコールの後、叔母のほがらかな声が「はあい」と告げた。
「あ、おばさんですか?」
「どこにかけたの」
「おばさんのところです」
「じゃあおばさんなんじゃない」
「そうですか、おばさんですか」
「どうしたの? 声に元気がないけど、お腹痛いの」
「いえ、別に」
「風邪ひいたの」
「いいえ、健康です」
「じゃあどうしたの? 彼女にふられたの」
「彼女いないのでふられることすらできません。それよりおばさん、仏壇のことなんですが」
「ああ、ちゃんとお世話してくれてる?」
「その、お世話のことなんですが」
「あれ、前教えたでしょ。サカキを飾って、ロウソク立てて、線香あげる。最後にチーン。手を合わせておしまい。あとなんか言いたいことあったら言ってもいいわよ」
「はあ、それは、わかってるんですが」
 とぼけているのか、本当に知らないのか、世間知らずには難しい叔母である。
「その」
 言いたかった。ぶちまけてしまいたかった。
 仏壇におっさんがいるんです。
 しかし、具体的な言葉を頭の中で形作ったとたん、恭二の常識と保身がそのセリフを口にすることを阻んだ。
 仏壇の中に生きてるおっさんが入ってます。妖精さんかも。どうしたらいいんでしょう。
 なんだこのセリフは。
 恭二は考えた。電話では話せない。電話で伝えたら、ギャグと思われるか冗談ととられるか。どちらにせよ切られてしまい、その後の連絡をとるのが難しくなるかもしれない。でなければ、こちらの頭を心配されてしまうだろう。
 とにかく、叔母がどこまで知っているのか探りを入れねばなるまい。
「会って話したいことがあるんですが」
「あら、なあに?」
「その、おっさ……初老の男性について、ちょっと問題が」
「あたし浮気なんかしてないわよ。どうせするなら若い子の方がいいし」
「おばさんのプライベートはそっとしておきたいと思っています。そうではなくて」
「恭ちゃん、彼女じゃなくて彼氏ができちゃったの?」
「そうでもなくて」
 噛み合わない。
「ある男性について、心当たりがないかお聞きしたいんです。ハゲ頭で……」
 ガタン、と仏壇が振動した。思わず握り締めた携帯電話がミシリと軋んだ。
 怒ってる。ハゲ言われて怒ってる。
「じゃなくて、ええと、スキンヘッドの紳士をご存じないですか?」
 恐る恐る仏壇を伺いながら言い直すと、許容範囲だったのか鎮まったままだった。ほっと息を吐いて叔母の陽気な声に集中する。
「頭に毛がないのね。まったくないのね? ゼロなのね?」
 そんなに念を押さなくても、と思うがここは受け流すことにした。
「そうです。あるいは襟足に名残があるかもしれません」
「ううん、三人くらい知ってるかなあ。うちのおじいちゃんと、仕事先の上司と、獣医の先生。うっすらハゲなら、もっとたくさんいるんだけど。家系かなあ。うちの旦那も最近頭頂部が薄くなってきてね、生え際からならまだしも、頭頂部からだから。怖いわよねえ。本人も恐れてるみたいで、最近毛はえ薬の広告を真剣に検討してたりするのよ。あれ本当に効果あるのかな。別に、ハゲててもいいと思うんだけど。いっそつるっぱげのほうが潔いわよねえ。あ、恭ちゃんのとこは、先祖代々ふさふさだから、あんまり心配することないからね。でもものごとは遺伝子どおりにはいかないかもしれない。覚悟だけは決めて、ワカメをたくさん食べなさい」
「その、おじいちゃんは今、どちらにいらっしゃいますか?」
「えー、どちらって、うちに居るわよ。さっきお茶飲んでたよ」
「そうですか……あ、仏壇関係では」
「そうそう、檀那のお坊さんがいたわ。でも名前も知らないなあ。法事のときくらいしか会わないし、所持仕切るのはあたしじゃないし」
「お坊さんだけですか?」
「何人か入れ替わってるかもしれない。けど、みんな同じに見えるから、一人とカウントしていいと思う」
 かわいそうなお坊さん。
 恭二は昨今の宗教事情に思いを馳せ、いや、今も昔もそう変わってないかもしれないと思い直した。
「そのお坊さんの中に、仏壇が好きな方っていますか? その、中に、入るのが」
「仏壇の中に?」
「はい」
「生きてるうちは、普通入らないと思うけど。仏壇に入るとか、そういう特殊な趣味の持ち主には、ちょっと、心当たりない」
「そうですか」
 かけたカマは全て外れた。受け答えに不審な点もない。叔母は、おそらく、無実だった。
 それではあのおっさんは一体、なんだというのだろう。再び説明のつかない空間に戻ってきてしまった。叔母が何も知らないとすると、電話口で「仏壇の中に得体の知れないおっさんがいるよう」と訴えるのはやはりためらわれる。たとえ信じてもらえたとしても、叔母に駆けつけてもらっても状況は好転しないだろう。かといって、これからどう行動したらよいのか、見当などつくはずもない。
 しょぼくれた空気が電波を伝わってしまったのか、叔母が気遣わしげに、
「恭ちゃん。元気出して」
「はあ」
「いつか、きっと、いい人が見つかるから」
「は?」
「そりゃあ、難しいと思う。スキンヘッドの、できればお坊さんで、仏壇に入る趣味のある人なんて、なかなか見つからないでしょ」
「へ?」
「でもね、くじけちゃダメよ。あたし、恭ちゃんにどんな恋人ができたって、ちゃんと祝福してあげるから」
「おばさ」
「でも、あたし恭ちゃんにそんな趣味があるとは思わなかっ」
「ありません」
 妙な誤解が生まれている。
「いいのよ、あたしと恭ちゃんの仲じゃない。秘密にしておいてあげるから。でもね、うちの仏壇には入らないで欲し」
「入りません。違います。ありえない誤解です。そんな恋人募集してません。おばさんは思考が偏った方向に柔軟すぎると思います」
 叔母は完璧に白だった。


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