小夜嵐

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てるてる坊主 

 朝から大雨である。
 町田くんは雨の中を流されるモーセだかヤハウェだかの気持ちになっていた。違うのは、ここが海の上ではないことくらいだ。
 屋根を叩く雨が、今このときすべての空間は水浸しであるべきだ、という主張をしている。建物の中で安全を囲っている自らの怠惰を愉しみつつ、町田くんはベッドに横になって身体を伸ばした。
「町田くん、町田くん、雨がざあざあ降っています」
 カーテンの向こうから先生の声が弾んだ。雨がよほど嬉しいらしく、ずっとはしゃいでいる。
「てるてる坊主を作りませんか?」
 町田くんはベッドから起き上がって、カーテンをたくし寄せてまとめた。とろとろした足取りでテーブルのほうへ歩む。
「てるてる坊主、ですか」
「そうです。可愛いですよ」
「はあ」
 見ると、先生の手元にはすでに材料が用意してある。
 町田くんは白い布切れを手にとってつくづく眺めた。
「これを使うんですか?」
「そうです。マジックがありますよ。古式ゆかしく、筆のほうがいいですか?」
「いえ、マジックのほうが……」
「ではこれをどうぞ」
 油性マジックを渡されて、町田くんは「それはいいんですが」と異見を唱えた。
「布を使わなくても、ティッシュではダメなのですか? てるてる坊主ひとつに布を使うのは、なんだかもったいないような気がするのですが」
「ふたつですよ」
 先生はもう一枚布切れを掲げた。
「もっと作りたいなら、まだありますが」
 箱から色とりどりの布切れをたくさん取り出した」
「……なんでそんなに布切れが」
「このまえ、田中さんがくれたんです。置き土産というやつですね」
「ははあ」
 箱の中には、何かの端切れらしく、大小さまざまの布が重ねられていた。
「他に使い道もありませんし、どうぞ遠慮なくてるてる坊主にしましょう」
「……そういうことなら」
 話がまとまるとみるや、先生は楽しげに端切れを選び始めた。
「白い布は二枚しかないので、顔を描くときはとりわけ慎重にしましょう。他の布で作っても綺麗ですよ」
「そうですね……」
 町田くんは布切れを両手の指先でつまみあげて、どんなてるてる坊主にするべきか思案をはじめた。
 とりあえず白いものは難しそうだったので、ごまかしが聞きそうな柄物から作ることにする。先生が散らかした端切れを物色する。
「……そういえば、先生、箱舟に乗ってたのって、誰でしたっけ」
「箱舟とは?」
「あの、海の七日間で世界を水攻めにしたという」
「……なにか別の話と混ざってませんか」
「聖書でしたっけ? 確か、世界中のあらゆる種を箱舟に乗せて……」
「ああ、ノアの箱舟ですね」
「ああ」
 町田くんは手を打った。すっかりド忘れしていたようだ。
「そうでした、ノアでしたね」
「ノアがどうかしましたか」
「いえ、たいした話ではないんです」
 町田くんは照れくささを感じて布を引っ張った。端切れにしては大きな布だ。てるてる坊主が二つできるかもしれない。
「先生、ハサミはありますか?」
「はい、ありますよ」
 用意よくすっとハサミが出てくる。柄のほうを差し出されて、町田くんは「どうも」と受け取る。布地を四角形に裁断しにかかった。
「町田くん、それが終わったらこっちの布も切ってもらえませんか」
 先生が手のひらほどもない小さな布切れをえり分けている。
「細かく切って、てるてる坊主の詰め物にしようと思うのですが」
「それはいい考えですね」
 町田くんは詰め物用の布を細かく切りはじめた。先生は手を動かすにつれ、てるてる坊主に成るに足る布地を探して四苦八苦しはじめる。
「選り取りみどりだと思ったのですが、意外に適当な大きさの布がありませんね」
「そのようですね」
 町田くんは細かく切る作業に余念がない。
 先生は眼鏡をかけなおしながら布の分別を続けた。
「ところで、ノアの箱舟なのですが」
「その話は、もう」
 町田くんは少しばかり赤面した。
「いえいえ、ノアじゃなくて、箱舟に詰められた動物たちなのですが」
「どうぶつ」
「ええ、あらゆるすべての種類が箱舟に詰まっていたわけですよね」
「はあ、そういう話でしたね」
「無理がありますよね」
 町田くんは沈黙した。
 しばしの沈黙を守った後、町田くんは続ける。
「……それは、言わないお約束、なんですよ。きっと」
「聖書にもお約束があるんですね」
「それはあるのでしょう。神話ですし」
「神話でしたっけ」
「そうですよ。ていうか、いけませんよ、先生、マナーがなってません」
 突然、ハッとしたように町田くんがたしなめた。先生が怪訝そうに、
「どうしたんですか?」
「政治と宗教と野球の話はしてはならない、という法律があるんですよ」
「法律でしたっけ」
「法則だったかも」
「不文律では?」
「言わずもがなでしたっけ?」
 二人の間に再び沈黙が落ちた。口火を切ったのは町田くんだった。
「なんにせよ、話題に出してはいけない、ということでした」
「話題にしたのは、町田くんが先だったような……?」
「そうでしたっけ?」
 町田くんは記憶をさかのぼるが、そんな記憶は、もはや脳裏に存在しない。だがとりあえず謝っておく。
「すみませんでした」
「いえいえ、謝るほどのことでは。しかし、マナーですか。話題にもマナーがあるとは、世間というのはややこしいものですねえ」
「そうですねえ」
 町田くんは一枚の布を折りたたんで切ることで、作業を効率化させる方法を編み出していた。しかしこの方法で切ると、折りたたんだ布地の繊維がくっついてプレスされて固まってしまうので、後に解さねばならない。
 団子になった布地の欠片を指先で解しながら、町田くんは、
「安全な話題とはどんなものなのでしょう」
 と疑問を提示してみる。解答はすぐに得られた。
「天気でしょう」
「お天気ですか」
 町田くんはてるてる坊主の中身になる予定の布クズを摘み上げる。小さな欠片になったそれらは、繊維が崩れて糸の塊のようだった。
「そういえば、先生は雨がお好きですか」
「大好きです」
 にっこりした顔が雨の晴れ間のような輝かしさだった。
「なのに、てるてる坊主を?」
 続く質問に、先生はふむ、と小首を傾げるしぐさをした。
「そういえば、てるてる坊主は晴れを願うおまじないでしたね」
「はあ。そう思いますが……晴れて欲しいんですか?」
「雨がいいなあ」
 先生は降り続く雨の、洪水のような音にうっとりと耳をすませていたかと思うと、ふいに思案から醒めた。
「よし、逆さてるてる坊主にしましょう」
「逆さ、ですか」
 町田くんは途惑った。
「てるてる坊主を逆さに吊るすということですか?」
「そうです。雨を願うおまじないですよ」
「ははあ」
 逆さになったてるてる坊主を想像する。いかにも苦しそうな様子が見えたような気がして町田くんの眉間に皺がよった。しかし、と続けて想像する。普通にてるてる坊主を吊るしたところで、それはそれで辛そうだ。何しろ首が絞まっている。
 てるてる坊主とは、実は怖いものなのかもしれない、と町田くんは認識を改めようとしている。そうしている間にも、着々と準備は進んでいた。
「さて、こちらはできましたよ」
 先生が四角形に切りそろえられた布切れをそろえてテーブルの真ん中に置いた。町田くんの手元には細切れになる前の端布がまだ残っている。
「先生、先に作っていてください。僕はこれを片付けてしまいます」
 そう言って町田くんは急いで仕事に取り掛かった。じゃきじゃきとハサミを鳴らして瞬く間に詰め物を作っていく。
「私もそちらを手伝いましょう。二人でやったら早く済みますよ」
 先生が手を伸ばし、端布を一山持っていった。
「すみません」
「すみます、と言っているのに」
 先生は笑いながら手際よくハサミを動かした。
 部屋に沈黙が落ち、それぞれの手元にこんもりとした細切れの布の山が出来上がった。
「ふう、こんなものでしょうか」
 先生が手を止めるころに、町田くんも最後の布を切り終えた。
「こちらも、こんなものでしょうか」
 それぞれの山を確認して、肯きあう。
「では、いよいよ」
「てるてる坊主を」
 こくり、と動く二人の顎の動きが一致した。
 四角い布切れの中央に、細かく刻まれて綿ぼこりのようになったものを適度に乗せる。それを頭として、首にあたる部分を糸でぎゅっと縛り上げる。それで終わりだ。
「あっけなくできるものですね」
 すでに二体を作り上げた町田くんは、両手にてるてる坊主をぶらさげてそれぞれを見比べた。なかなか立派にてるてる坊主だ。
 悦に入っているところに、先生が釘を刺す。
「まだまだですよ、町田くん」
「まだ? とは?」
「これは逆さてるてる坊主ということを、お忘れなく」
「逆さ……」
 言われて、町田くんはてるてる坊主をひっくり返した。頭の部分には詰め物がしてあるが、首から下は布だけである。頭の部分を持った手に、でれん、とスカートの部分が垂れ下がってきた。
 首につけた紐を引いて、なんとか逆さにしようとするが、頭に重心があるため、どうしても逆さにならない。
「な、なるほど、これは難しい問題ですね」
「そうなのです、逆さてるてる坊主の作り方を知っていますか?」
 町田くんはてるてる坊主と苦戦する手を止めた。
「知りません。どんな風に作るのですか?」
「さあ」
 町田くんはしばらく手元のてるてる坊主を見つめた。後、先生に視線を移す。
「先生、知らないんですか?」
「知りません」
「……じゃあ、どうやって作るのですか?」
 先生は自分の手の中にあるてるてる坊主をかなしそうに眺めた。
「残念です」
「そ、そうですか」
 町田くんは少しばかり胸苦しさを覚えながら強めに目を閉じた。逆さてるてる坊主に未練はない。作り方がわからないなら普通のてるてる坊主で充分だ。
 引き続きてるてる坊主の製作を開始した。
 あらたに一体を作り上げたとき、ふいに先生の手元を見ると、手は動いているのに人形の数が増えていない。何をしているのだろう、と、まじまじ観察する。どうやらてるてる坊主はどうやったら安定して逆さになるか、を検証しているようだった。
 ためつすがめつ、ぶら下げたり、糸をつける場所を変えてみたりしている。
「先生、諦めてないんですね」
「知らないならば、編み出せばいいのです」
 先生の眼鏡が外からの光を反射して目の色を隠した。
 窓のほうを見ると、いつのまにか雨が上がったようで、今は軒先からしとしとと名残の雨粒が滴り落ちているくらいだ。雲の隙間からちらほらと日が差し、ふんわりした陽光があたりに満ち始めた。
「晴れたようですね」
「そんな!」
 先生が焦った顔で手に力を込める。てるてる坊主が「ぎゅっ」と声を出したような気がした。
「そうだ、今こそ逆さてるてる坊主です。あの晴天に、目にもの見せてやりましょう」
 強い眼差しを向けられて、町田くんは途惑うばかりであった。晴天に恨みを持った覚えはない。
 再び手元に熱中し始めた先生を横目に、町田くんは何体か普通のてるてる坊主を作った。雨が降っている中に作るのは情緒のあるものだったが、晴れてからは、作る手順にももむなしさを感じてしまう。
 先生はよほど雨が恋しいのか、てるてる坊主をあちこちひっくりかえして苦心している。諦めが悪い、と町田くんは思った。
 しかし、と町田くんは見方を変えてみる。
 晴れてしまった以上、この営みは正しいのではないか。
 普通のてるてる坊主ではなく、再び雨を呼ぶための逆さてるてる坊主。現在目的にかなっているのは、逆さてるてる坊主のほうではなかろうか。
「ふむ」
 町田くんはてるてる坊主を見つめた。逆さにしてみる。スカートが重力に従ってフニャリと持つ手に落ちてくる。町田くんは提案した。
「先生、こういうのはどうでしょう」
 頭でもなく首でもなく、スカートの裾をつまんで吊るしてみたのだ。これならば立派に「逆さ」てるてる坊主といえるであろう。
「……町田くん! マーベラスです!」
 先生がいまだかつてない褒め言葉をくれた。町田くんはそんなに嬉しくはなかったが、少し口元が緩んでしまった。
「裾に糸を結べば、解決ですね。すばらしい」
 自分でも同じように裾をつまみながら、先生は感嘆する。そして次から次へとてるてる坊主を逆さにするのだった。
 逆さにする技術が編み出された結果、作業が効率化した。町田くんがてるてる坊主を作り、先生が逆さにする。とうとう残るは白い布のみとなった。
「これには顔を描きましょう」
 白い布は二枚しかない。なんとなく貴重な感じがしたもので、これはお互いがめいめい丁寧に作り上げる流れとなった。
「どんな顔にしましょうか……」
 マジックを手に、先生が楽しげに悩んでいる。町田くんも白い頭部を目の前に、どうしたものかと考え込んだ。
 考えた末、無難なニコニコマークを描く。
 描き終えた後、しげしげと眺めながら、逆さにするのであれば顔も反対に描けばよかったかな、などと思うが、すぐに生物としてちょっとおかしいな、と自らの考えを却下する。だが生物でもないな、とできあがったてるてる坊主を弄ぶのだった。
「先生、こちらはできました」
 そちらはどうですか、と問いかけると、沈黙が返ってくる。


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