小夜嵐

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ココア 

 町田くんはカレンダーを眺めていた。
 マルとバツのしるしが混在している。カレンダーをぺらぺらとめくって確認するに、その奇妙なしるしは、ずっと続いているようだ。
 先生が後方で何かしていると思ったら、素っ頓狂な声があがった。冷蔵庫の扉が閉まる微かな音がした。
「町田くん、大変です」
 振り返って何が起こっているのかを観察する。先生の手にはココアの箱らしきものがある。スプーンはカップの中だ。
「どうしたのですか?」
「ミルクがないのです」
 先生はココアの箱を両手で押し出すようにして町田くんに見せた。純正ココアである。
「ココアが飲みたかったのに、冷蔵庫にはミルクの影も形もない。わたしとしたことが、大失態です」
「……お湯でもいいのではないですか?」
 町田くんは小首を傾げつつ代案を出した。
 しかし先生は悲しげに首を振るばかりだ。
「ミルクココアがいいのです」
「……さようですか……」
 町田くんは今ひとつ先生の哀しみが理解できず、少々のとまどいを持て余した。
「ココア……わたしのココアが……。もう、すっかり準備は整っているというのに……なんということでしょう」
 先生はココアの箱をテーブルの上に置くと、そこに身を投げ出すように座って頭を抱える。
 なるほど、カップの中にはすでにココアが投入されているらしい。後は熱いミルクを入れるだけ、というところだったようだ。
「先にミルクの有無を確認すべきだったのでは?」
 ううっ、とくぐもった苦鳴が重ねられた腕の隙間から聞こえる。
「そんな正論、今となっては何の役にも立ちません」
「それは、詮無いことを申し上げてしまいました」
 町田くんはココアの箱を取り上げて、作り方を確認した。
「今日のところは、お湯でいいのではないですか? お湯だけでも、きっと美味しいですよ」
「ミルク……ミルクココアが飲みたい……」
 うわごとのように呟いている。先生がここまでのこだわりを見せるのは珍しいことのような気がした。
 あまりにもミルクココアを求めている人を目の前にして、町田くんはどうしたものかわからなかった。こんなにもミルクココアを求めている人には、会ったことがないような気がしたからだ。
 しばらくミルクココアが飲みたい人が打ちひしがれている様子を観察していたが、一向に回復する気配がないので、とうとう町田くんはこのように提案した。
「ミルクを買いに行ってきましょうか」
「えっ」
 打ちひしがれていた先生がぱっと顔を上げた。
「どこに行くんです?」
 心底不思議そうに言うので、そういえばどこにだろう、と町田くんは自問する。
「ええと、ですから、ミルクを買いに」
「ああ」
 納得顔の先生がぽんと両手を合わせる。
「買い物に行くのですね。その手がありました」
「はあ」
 それ以外に手はないような気がしたが、今ひとつ差し挟む疑問の言葉にならず、町田くんは生返事を返した。
「ミルク、どこで売ってますか」
「……さあ」
「はあ」
 しばらく沈黙が流れ、町田くんは面倒になって、読みかけの小説でも開こうかと本棚に向かおうとした。
「あ、待って、待ってください町田くん。無関心にならないで」
「そんなことを言われましても」
「ミルクココアが飲みたいのです」
「そうですか……いつもはどうやってミルクを手に入れていらっしゃるんですか?」
「来るのです」
「来る?」
「はい」
 先生はすっと勝手口のほうを指差した。
「そろそろかもしれません。耳を澄ませていましょう」
「はあ」
 町田くんは言われたとおり、耳に神経を集中させる。何がなんだかよくわからないまま、遠くの音まで聞き逃さないように、どんな小さな音も聞き逃さないように。
 するとはるか遠くの方からと思われる声がかすかに響いてきた。何を言っているのかまでは判然としない。
「来ましたね」
 先生がにんまりとして冷蔵庫からミルク壺を取り出した。
「さあ、ミルクを手に入れましょう」
 意気揚々と告げて、勝手口へと足を進める。
 つられるようにして、町田くんも後に続いた。
 勝手口のドアが開かれると、遠くから、ほーい……ほーい……とこだまが響いてくる。それは徐々に近づいてくるようだった。
「やあやあ」
 先生が発声すると、声は霧に跳ね返りながらあたりに浸透していった。
「ようよう」
 染み渡る声にいらえがある。それはリアカーをひいていた。霧が深いのではっきりとは見えないが、どうやらリアカーには青いシートが被されており、リアカーをひいている人も水色のウィンドブレーカーだかカッパだかをすっぽり身に着けている。その人物は陽気に声をかけてきた。
「お久しぶり」
「ご無沙汰してます」
 まだ距離があるので、先生の返答はやや声を張り上げたものとなった。
 リアカーの車輪は山道を転がってごりごり音を立てている。石の上を通るときはわずかに撥ねて軌道を逸れがちだ。
 近づくにつれ、その古さがまざまざと見えてきた。いったいいつの時代のものなのだろう、今にも崩れて自然に還ってしまいそうだ。引き手の部分は鉄であるらしかったが、それもすっかり寂びて土くれと判別しがたい。
 町田くんの驚きを感じたのか、先生は振り返ってニコリと笑った。
「まだ大丈夫ですよ」
「は、はあ」
 そんな会話を交わしている間にも、リアカーはぐんぐん近づいてきた。意外に足が早い。
「ふう、くたびれた」
「お疲れ様です」
 先生が、いつの間にか用意したタオルを差し出す。慣れた手つきでそのタオルを受け取り、カッパの隙間から顔と手を拭った。
「町田くん、この方はタさんです。タさん、町田くんです」
「これははじめまして」
 にこやかに片方の手が差し出される。握手の習慣がない町田くんは少々慌てたが、逡巡の末にその手を握り返した。
「ど、どうも、はじめまして」
「どうもどうも」
 言いながら、今まで首にかけていたタオルをカッパの隙間からずるりと引き出して先生に渡す。先生はそれを受け取って丁寧にたたんだ。
 タは先ほど先生にもらった新しいタオルをカッパの隙間から首に仕込んでさっぱりした風に頭を回した。
「今日も霧が深くて、湿っぽいですねえ」
「ええ本当に。道中大丈夫でしたか?」
「なあに、これしき」
 頼もしく笑い声をあげながら、リアカーからクリップボードを取り出すとそこに重ねられた紙をぱらぱらと捲りあげる。
「あ、これこれ。では、注文の確認をお願いします」
「はい」
 先生が注文書らしきものを眺めている間に、タはリアカーから青いビニールシートをはがし始めた。バリバリ音をさせて、一部を露出させる。大小の麻袋がいくつも現れた。
 麻袋にとりつけられたタグをちょこちょこした動作で確認している。
「ええと、これとこれね。ほい」
「あ、はい」
 町田くんに小さな麻袋を持たせ、大きな麻袋をかつぐと部屋の中、勝手口の脇へ放り込んでしまった。
「足りないものはありませんか?」
 先生のほうを振り返った。
「はい、間違いないですよ。あとはミルクをいただければ」
「ああ、そうそう」
 タはリアカーに走り寄ると、ビニールシートの残りを完全にはがした。
 白く茫洋としたものが現れて、町田くんは目をこらした。
 それはうとうとしているヤギのように見えた。ヤギはビニールがなくなってぶるりと体を震わせると、のっそりと首を持ち上げて、
「めえ」
 と鳴いた。
「せ、先生、先生」
「どうしました? 町田くん」
「ヤギですか?」
「ヤギですよ」
「本物の?」
「正真正銘の本物ですよ」
 タが得意げにヤギの背中を撫でた。ヤギがまた「めえ」と鳴いた。
 ヤギはなにやら唇をもっちゅもっちゅと動かすと、全て心得た風にリアカーの上に立ち上がる。車が少し傾いてみしりといった。
「お願いします」
 先生がミルク壺を渡すと、「はいよ」と受け取って、タは壺をヤギの乳の下に備え付けた。ヤギは大人しく成されるがままになっている。
 タの指が規則正しく動く。ミルク壺の底を叩く水音が勢い良く響いた。
 町田くんは小さな麻袋を抱えて半ば呆然と立ち尽くしていた。じょう、じょうとミルク壺が満たされるにつれ、落ちる水音が変化していく。
「ほい、どうぞ」
 タはミルクでたぷたぷになった壺を無造作に先生のほうへ差し出した。先生は恭しくそれを受け取ると、慎重に蓋を閉める。
「ありがとうございます。どうですか? ちょっとお茶でも。ちょうど、おいしいココアを作るところだったのです」
「いやあ」
 タさんはカッパで包まれた後ろ頭ををごしごしと擦った。
「ええと」
 先ほどまであんなにテキパキしていたというのに、急に優柔不断になったものだ。先生は片方の腕でミルク壺を大事そうに抱えて、もう片方の手で勝手口のほうへタをいざなった。
「ご遠慮なさらずに、どうぞどうぞ」
「いや、どうも、よろしいんですか?」
「はい、是非」
「……それじゃ、お言葉に甘えようかなあ」
 なんだかもじもじしている。先生はこれで決まったというように破顔すると、
「町田くん、さあ、早く早く」
 と声をかけて中へ入ってしまった。後に続こうとすると、中から、
「あ、ヤギ子さんもどうぞ。外は冷えますからねえ」
 と声がかかる。
 町田くんは、あのヤギはヤギ子さんというのか、という感慨と共にリアカーを振り返ったが、ヤギ子さんはもうそこには居ず、タが青いビニールシートをかけなおしているだけだった。
 勝手口のほうを見やると、室内にのこのこ入っていく途中のヤギ子の白い尻が見えた。町田くんは慌ててその後に続こうとしたが、ふと振り返ってタに先を譲ることにした。
「あ、どうぞ、お先に」
 シートをかけなおし終わったタは、ちょっと途惑っていたようだったが、照れたように少しもじもじすると、「どうも、どうも」と言ってヤギ子の後を追うのだった。
 部屋に戻ると、先生がさっそくヤギミルクを温めていた。
「さあ、どうぞどうぞ、座ってください。すぐにできますからね」
「めえ」
 ヤギ子が鳴く。鼻先をさかんに動かしていたかと思うと、それは迷うことなく先生の書類へと向かった。
「こらこら。ダメだよヤギ子さん」
 すかさずタが注意する。ヤギ子もよく理解していると見え、少々不満げながら書類を諦めうつむいてしまった。
「めえ」
 町田くんはなんだか気の毒になったが、どうしたらいいのかわからずに荷物を抱えてうろうろした。ヤギの慰め方など考えたこともない。
 哀しげなヤギ子を見つめながら、町田くんはとりあえず荷物を置く場所を探すことにした。タが勝手口の脇に置いた麻袋の横にそっと積んでおく。
 振り返ると、先生が湯気のあがるココアをテーブルに並べていた。並べ終わると、哀しげなヤギ子さんに向かってにっこりする。
「ヤギ子さんにはニンジンを差し上げましょう。とれたてですよ」
「やあ、いつもありがとうございます。ヤギ子さん、よかったですね」
「めえ」
「町田くん、そこの笊を持ってきてもらえますか」
「あ、はい」
 笊の上にはまだ葉のついたままのニンジンが山盛りに乗っていた。手に持つとずっしりと重い。先生に言われるがまま、それをテーブルの上へ置いた。
 ヤギ子さんはぴょんと椅子の上に飛び乗ると、テーブルに前足をかける。前足の間にはちょうどニンジンの入った笊があった。躊躇なくごりごりとニンジンを齧り始めるヤギ子さんは、見た目よりもずいぶん大胆で豪快らしい。
「おいしいですか?」
 という先生の問いかけにも答えず、一心不乱にニンジンを咀嚼している。
「では、我々もお茶にしましょうか」
 先生はテーブルの真ん中にクッキーの皿を置いて座った。
 うながされて、途惑いがちだった町田くんも席につく。
 思い思いにココアのカップを傾けた。ココアは熱々なせいか、まだよく味がわからなかったが、少々変わった風味がするように感じられた。
「ヤギ子さんのミルクはおいしいですねえ」
 先生が言うので、妙に飲みにくくなってしまった。かといって、「そういうことを言うのをやめてください」と言ってもヤブヘビになりそうだ。町田くんは辛抱してココアを少し啜った。
「おいしいですね」
 タが嬉しそうに、やや自慢げに胸を張った。
「ヤギ子さんのミルクですから」
「めえ」
 町田くんは、やめてください、と口元まで出かかった言葉をココアで封じた。
 ヤギ子さんはニンジンを堪能している。グルメなのか、葉っぱの部分は残す始末だ。それと気づいたタが、
「ヤギ子さん、好き嫌いしたらだめですよ」
「めえ」
 注意され、申し訳程度に葉っぱに口をつける。が、少し齧った程度で本体部分に戻ってしまう。タが「しかたないなあ」と肩をすくめた。
 ヤギ子さんはどうやら甘やかされているようだ、と観察の結果町田くんは理解した。町田くんはヤギ子さんを甘やかすことに反対するつもりはない。時間が経つにつれて飲みやすくなってきたココアは乙な味がした。
 隣ではヤギ子さんが時折ニンジンをこぼしながらも丁寧に咀嚼を繰り返している。哺乳類にしては珍しい、横になった坊推計の瞳がどこを見ているのかわからない。
 町田くんはクッキーに手を伸ばした。
 ヤギ子さんが咀嚼しながら町田くんの手元に視線を合わせたようだった。
 隣を気にしつつ、町田くんはクッキーを口元に運ぶ。ヤギ子さんは町田くんの手の動きにあわせて頭を動かした。結果、ヤギ子さんは町田くんの顔を凝視することとなった。町田くんの顔を見つめながらニンジンを咀嚼している。
 思わずそちらに視線を向けてしまって、町田くんはヤギ子さんと見詰め合った。
 ヤギ子さんの顎が左右に動く。その口からニンジンの欠片がポロリとこぼれた。
 クッキーを齧る。顎を上下に動かし、咀嚼する。
 咀嚼しながら見詰め合う、ヤギ子さんと町田くんであった。
 そんな二人を見て、先生が「気が合うようですねえ」と声をかけた。
「いえ、そんなことは」
 町田くんは即座に遠慮を装った否定をしたが、先生は受け入れてくれなかった。
「いえいえ、そんな。息もぴったりじゃないですか」
「めえ」
 ヤギ子さんが何かを言ったようだったが、町田くんにはそれが否定か肯定かすらわからなかった。
 どちらにしても反応に困る町田くんである。
「めえ」
 ヤギ子さんが鳴くと、タがココアのカップを置いた。
「やあ、すっかりくつろいでしまって」
「もう時間ですか?」
「ええ、そろそろですね。ご馳走になりました」
「もうちょっとゆっくりしていかれてもいいのに」
「そうしたいところですが、次の配達もありますので」
 タは立ち上がる。ヤギ子さんもタに続いて椅子から飛び降りた。蹄を鳴らしながら、自発的に勝手口のほうへと歩み去っていく。
 その後を追うように、タは「では」と出て行ってしまった。
 見送りだろうか、先生が立ち上がる。町田くんも一緒に外へ出てみると、ヤギ子さんが青いビニールシートに潜りこんでいた。
「またお願いしますね」
 先生が声をかける。
「はい、また、ごひいきにどうも」
 タがリアカーを引き、ぐるりと回した。元来た道を戻っていく。ごりごりと車輪の音が遠ざかっていく。リアカーの後部、ビニールシートの合間から鼻先を出して、ヤギ子さんが「めえ」と言った。
 それも見えなくなると、先生が「さて、ココアのおかわりでもいただきましょうか」と提案した。町田くんは「そうですね」と笊の上のニンジンの残骸をちらりと見て、ヤギ子さんに思いを馳せるのだった。


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