小夜嵐

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マヨネーズティ 

「先生、大変です」
「どうしたんですか、町田くん」
 珍しい剣幕に、先生はちょっとカップの中身を揺らした。
「自分のやるべきことがなくなってしまったんです」
「そうですか……それは……」
 先生はすっかりキレイになった室内を見回して満足そうに微笑んだ。
「よいことなのでは、ないですか? お疲れ様でした」
 町田くんはねぎらわれて一瞬嬉しそうにしていたが、すぐにそれを打ち消す構えで椅子に座りなおした。
「しかし、これで当分は何もすることがありません」
「のんびりしたらいいではないですか」
「それも限度があります。何かしていないと、不安になります」
「不安など、あってないようなものですよ」
「あることはあるのではないですか?」
「まあ、あるといえばあります」
「わかりません」
「わからなくてもいいんですよ、そんなに真剣にならなくても。町田くんはちょっと真面目すぎます」
 町田くんは傷ついた面持ちで差し出されたカップから少し啜った。
「……なんですか、これ?」
 紅茶らしかったが、中に何かぶわりとしたものが浮いている。
「オリジナルロシアンティーです」
 先生が得意げにジャムの瓶を格好をつけた角度で見せてくれた。
「オ、オリジナル? どのあたりが、ですか?」
 カップの中をまじまじと見つめる。ぶわりとしたものがほぐれたのか、どことなくクリーミーな表面がとろりと揺れ、どこかで嗅いだような酸味のある香りが漂ってきた。
「わかりませんか?」
「これは、もしかして……」
 念のためもう一口飲んでみた。口中に広がる、紅茶のまろやかな味わいをほとんど打ち消して己を主張するのに余念のない、この……。
「マヨネーズですね」
「その通りです」
 先生の持っている瓶は、マヨネーズの瓶であった。マヨネーズはチューブに入っているばかりではないのだ。瓶のものもある、町田くんはそのことに思い至った。
「……なぜ、オリジナリティを出そうと思われたんですか?」
「町田くんと同じですよ」
「えっ、ぼくと?」
 町田くんは自分を振り返った。紅茶にマヨネーズを投入することと、似たようなことをした覚えなどない。そんなことは思いつきもしない。
「何かしていないと不安だったのです」
 思考をめぐらせている最中に横合いから答えを出されて、町田くんはじっとりと瞑目した。なぜ、不安になったからといってそんなことをするのかわからない。
 町田くんのものいいたげな視線を受けて、先生はちょっぴり肩を竦めた。
「深い意味はありません」
「……しかし、マヨネーズは、ちょっと……」
「美味しくないですか?」
 いわれて、もう一度少しだけ啜ってみる。脂っこい甘みと酸味が唇に粘りつくようだった。
「おいしくは、ないです」
 本来の使用目的とはずれているのだから仕方がない。マヨネーズにも紅茶にも罪はない。あるとすれば、当然目の前の不品行を成し遂げた人物にある。
「ツナマヨサンドも用意してみたのですが」
 テーブルの上に皿を載せ、布巾をさっと取り上げる。こちらは見るからにおいしそうなサンドイッチが並んでいた。
「まあ、ひとつどうぞ」
 勧められて一口齧る。ふわりとしたパンにツナとマヨが絡んだ具が詰まっていて頬っぺたの内側が縮むような快感を感じる。
「おいしいです」
「そうでしょう。おいしいでしょう」
 なのになぜこちらはダメなんでしょうねえ、と紅茶のカップを鼻先に掲げるようにした。
「なぜといわれても」
 見るからにダメではないか、と町田くんは主張した。考えるまでもなく、いや、通常紅茶にマヨネーズを放り込もうなどとは考えもしないだろう。
 先生は少々しょんぼりしたまなざしを紅茶に落とした。乳白色の表面が紅茶と溶け合って微妙な表情を醸し出している。
「意外な組み合わせにロマンを感じたのです」
「ロマン」
 復唱したが、理解はできなかった。
 先生は気を取り直したようにマヨ茶を口に含んだ。
「しかし、まあ、これはこれで」
「せ、先生。どうかおやめください。今、普通の紅茶を淹れますから」
「いえ、もう少ししたらきっと慣れてきて、絶妙なハーモニーを体験できるかも」
「無茶ですよ。なんだか体に悪そうですし」
「マヨネーズひと匙くらい、たいしたことはありませんよ。サラダと思えば」
「それサラダじゃありませんし。スープにしても、マヨは使わないでしょう」
「そうですか?」
「そうですよ」
 先生は残念そうにマヨ茶を受け皿に戻した。
「斬新なアイデアだと思ったのですがねえ」
「斬新というか、奇抜というか」
「お茶の世界に一石を投じようと」
「一石じゃなくて一マヨじゃないですか」
 正確にいうとひと匙のマヨネーズだ。
 軽やかな笑い声が響き、「うまいことをいいますねえ」と感心したようにいわれたので、町田くんはなんだか悪いことをした気持ちになった。
「とにかく、お茶にマヨネーズは禁止です。マヨネーズも変な食べられ方をして悲しんでいますよ」
 町田くんはマヨ茶のカップを回収して、流し場へ持っていった。名残惜しそうに、どこか後ろめたそうな顔をしている先生を気にしないようにして、カップを洗う。マヨネーズの油分がこびりついていて落とすのがが大変だ。
 キレイになったカップを布巾で拭いて、新しい紅茶を淹れる。
 先生の前に持っていくと、
「今度はオーソドックスに、ジャムのロシアンティーにしましょうか」
 と思案気にいわれて、「先生のカップだけにしてくださいね、僕は普通の紅茶がいいです」と釘を刺した。
「どうしてです? ロシアンティーお嫌いですか?」
「紅茶にジャムはちょっと……それに、本式のロシアンティーはジャムを紅茶の中には入れないと聞いたことがあるのですが」
 えっ、と驚いた顔をされる。
「町田くんは物知りですねえ」
「いえ、そんなようなことを耳にしただけで、本当のことは知らないのですが」
 感心したようにいわれて、照れくさくなってしまい、慌ててつけたした。
「ふうむ、ジャムを砂糖代わりにするのではないのですね。では、ジャムを舐めながら紅茶を飲むのでしょうか」
「さあ、どうでしょう」
 ジャム単品を舐めるという発想がない町田くんには、その紅茶の飲み方も斬新なものに思えた。
「あ、そういえば、紅茶を飲むときに、紅茶そのものには砂糖を入れず、角砂糖を齧りながら飲む、という作法を聞いたことがあります」
「ははあ……! 町田くんは本当に物知りだ」
「いえ、そんなことは。また聞きで確かなことでもないですし」
 ぽりぽり頬を掻きながら、
「そういう作法の延長というか、変化形なのでしょうか」
「なるほど、ではジャムを舐めながらいただきましょうか」
 棚から赤いジャムの瓶を取り出して、さっそくスプーンでひと掬いする先生を、町田くんは引き止めた。
「先生、スプーンから直接は行儀が悪いような気がします」
 と立ち上がり、確かこのあたりに、とつぶやきながら棚のあちこちを探し始めた。やがてビスケットの箱を見つけ出し、
「これでいかがでしょうか」
 と差し出した。
「ふうむ、なるほど」
 先生はビスケットの上にジャムを塗りつけ、一口齧った。紅茶を飲む。
「……ううむ」
 もうひと齧りして、紅茶を飲む。
 不満げな様子に、町田くんは怪訝な面持ちをした。
「どうかしたんですか? 賞味期限は切れてないはずですが、しけってましたか?」
 ビスケットの箱に記されている期限を確認しながら聞いてみる。
 先生は難しい顔をしたまま、
「いえ、そういうのではなくて、ビスケットは美味しいのですが」
 二枚目のビスケットの上にジャムを乗せる。それをしげしげと見つめ、紅茶と交互にためつすがめつした。
「なんというか……これ、ロシアンティーですかね?」
「はあ」
 町田くんも、先生と紅茶とジャムを乗せたビスケットを順番に見つめた。普通のおやつつきのティータイムに見えたが、それを言うとまたややこしいことになるような気がしたので、適当なことを口にした。
「とってもロシアンですよ」
「ロシアンですか」
「はい、おいしそうです」
 先生はじっと指の先のビスケットを見つめて眉間に皺を寄せていたが、ふっと皺を解いて町田くんのほうを振り返った。
「町田くんもいかがですか」
「はい、いただきます」
 町田くんはビスケットを取ると、その上にジャムを乗せてもらった。簡単なおやつだが、お茶の友にはなかなか相性がよかった。
 口の中でぼそぼそ噛まれたビスケットが紅茶に溶けてすっと喉の奥に消える。
「おいしいですね」
 先生が言った。
「はい、おいしいです」
 町田くんも言った。
 そのころには、最初の会話のことなどすっかり忘れていたのであった。
 お茶を啜りビスケットを齧る音だけが部屋に響いていた。


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