小夜嵐

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手紙 

 先生が珍しくも、一通の手紙をためつ眇めつ眺めていた。
「どなたからですか?」
 暇を持て余していた町田くんはつい訊ねた。先生はきょとんとした風に目を見開くと、照れたように笑った。
「これは、わたしがもらったものではないのです」
「え、じゃあ、ぼくに?」
 ほんのりと胸がときめく。自分に手紙をくれるようなひとがあっただろうか、考えてみるが、いつもの通り頭の中がが霧に押しつぶされたようで何も浮ばない。
「いいえ、君のでもありません」
 少々がっかりしながら、町田くんは「では、どなたのですか?」と重ねて問うた。
「実は、わたしのなのです」
「先生がお書きになったんですか」
「いいえ、書いてはいません」
 町田くんが狐にたぶらかされたような顔をするので、先生は軽い笑い声を立てて、弄っていた手紙を町田くんの前にすべらせた。
「拝見してもよろしいのですか」
「どうぞ」
 にこにこする先生の前で、いささか緊張しながら手紙を開ける。未開封の手紙だったもので、本当に自分が開けてもいいものかどぎまぎしてしまい、ぎこちなくなってしまった。
 丁寧に手紙の端を破ると、中の紙片を取り出して広げる。
「……白紙じゃないですか」
「そうですよ」
「これは、どういうことなのですか」
「どういうことでもありません」
 町田くんは二枚の紙片をひらひらと振って見せた。罫線の引かれたレター用紙なのだが、売られたときの姿のまま、何も書かれてはいない。
「先生のだけど、先生は書いていない、と」
「その通りです」
 なぜか得意げな先生の様子に、町田くんは虚脱を覚えた。
「その謎かけのために、わざわざこんなものを」
「違いますよ」
 先生はそういうと、テーブルの上の封筒を指でつついた。
「だいたい、ほら、宛名も切手も消印もありませんよ」
「あ、本当だ」
 手紙の中に気をとられていて、うっかり見逃してしまっていた。白紙の紙を白紙の封筒に包み、ただ封をされていただけだったのだ。
「だからね、謎かけをする気も、からかう気もなかったのですよ」
 にっこりする先生に向かって、町田くんは、
「では、なぜこんな手紙のようなものを作ったのですか?」
 先生は笑みを深めて、
「手紙の形をしたものを見たかったからです」
 と言った。
「手紙のかたち」
「はい、そうです」
「なぜそんなものをご覧になりたかったのですか?」
 町田くんが心底不思議そうに訊ねるので、先生は愉快気に笑った。
「見たかったからです」
「はあ」
「町田くんは、手紙を見たくありませんでしたか?」
「はあ……そういわれれば」
 白紙の手紙をつくづくと眺める。封を破いてしまった、手紙の形をしたモノだ。
「でも、手紙って、中身がなければ、手紙とはいわないのでは?」
「だから、手紙の形をしたものになったのです」
「はあ」
 町田くんは片手で持った封筒をかぱかぱさせながら、中身を見つめた。真っ白な内側に影が何重にも映っていた。何も書かれていないレター用紙を、元通り折り重ねて、封筒に押し込んだ。少し厚みの増した手紙の形をしたものを、両手の指で挟んでぶらぶらさせる。
「手紙の、形、ですね」
「はい」
 町田くんは手紙の形をしたものを、先生と自分の等距離にそっと置いた。
 封を切ったときにできた細長いぎざぎざの紙片をつまんで弄ぶ。
「先生、本物の手紙は」
「はい」
「本物は、ないのですか」
「ありません」
 あっさりとした声音に、予想していたこととはいえ少々がっかりしてしまう。拗ねたように紙片をこよりにしていると、
「偽者と、本物の違いが、ありません」
 言葉を聞き逃しそうになってしまって、町田くんはひょっと先生を見上げた。そこには今にも周囲に溶けて消えてしまいそうな微笑があった。
「残念ですね」
 たいして残念そうでもなく先生は言った。とっくの昔に何かを諦めていそうな顔だった。
「……先生は、手紙が、欲しいのですか?」
「いいえ」
「本物の手紙が」
「いいえ」
「偽者が?」
「いいえ」
「……手紙の形をしたものが」
「はい」
 先生は、今度はいつものようにほがらかに、にっこりと笑った。
 町田くんはなんだか胸の中を冷たいものでえぐられたような気持ちになってうつむいた。
「お茶でも飲みましょうか」
 先生が胸の中の氷を溶かすような声で言った。町田くんは、「ぼくがお湯を沸かします」と立ち上がった。
 薬缶をコンロの上に乗せる。
 なかなか湯気が上がらないのがもどかしくて、町田くんは天井を仰いだ。
 天井に浮き出した染みが何かの形に似ていた。


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