アンドロイドとみかん箱の関係について 2


 こじんまりとした居間の二万九千七百円のソファにアイリーンが腰掛けると、ソファはこれは規格外ですとでもいう風に軋んだ。見かけよりもかなり重いらしい。
「壊すなよ」
 現実を何とか受け入れたのか、後から入ってきた和也が言うと、アイリーンは「はい」と神妙に頷き、空気椅子モードに移行した。ソファのスプリングが嬉しげに元に戻る。
 ソファと尻の間にかすかな空間を作って微動だにしない彼女の斜向かいに腰掛けながら、和也はすべき質問を考えた。何も思いつかない。
「本当にお前……あー、ロボットなのか?」
 仕方なく発した場つなぎ的な率直な問いに、アイリーンは「わかりやすい証拠が必要ですか?」と問い返し、和也が戸惑っている間に自らの腕を外してみせた。
「げ」
 アイリーンは外した腕を和也に渡そうとする。和也はやや体を引きながらもそれを受け取った。
「重っ……!」
 片手では支えきれず、腕の片端を床に落としてしまう。鉄アレイを落としたときのような鈍い音がした。
「手荒に扱わないでください。スペアがありませんので」
 あくまでも冷静にアイリーンが言う。
「ああ、ごめん……」
 謝りながら、よくよく観察してみるが、和也の目にはよくできた義手のようにも見えた。
 腕はつるりとした滑らかな皮膚で覆われ、爪、産毛にいたるまで人間のそれとそっくりである。ただひどく冷たい。ぎゅっと握ると皮膚のすぐ下に何か硬質なものを感じた。
 接合面はプラスチックのようなものでカバーされ、輪を作るように点々と穴が開いている。覗き込むと何かが動いた。
 思わずぎょっとして腕を放り出そうとした和也から、アイリーンが腕を支えた。
「今動いたのは腕と肩を接続する端子の一部です。問題ありません」
「そ、そうか……」
 和也はうろたえたことを微かに恥じた。アイリーンは無機質な顔をしている。
 先ほどよりも近くなった目を見つめると瞳の虹彩が動いたような気がした。
 目が大きく、まつげが長い。薄い茶色の髪は長く、肩からこぼれて和也の手をさらりとくすぐった。
 和也が左手を挙げて、アイリーンの顎をそっと掴んだとき。
「あぁーら、お邪魔だったかしらー」
 祥子が湯飲みを載せた盆を持ち、冷やかすように現れた。
「邪魔だよ。今スイッチとやらを確認しようと思って……」
「ああいやだいやだ。不躾な男は嫌われるわよ。アンドロイドを落とそうと思ったらねえ、人間として扱わなきゃダメなの。自我に目覚め始めた彼女は、主人公のそういう優しさに触れて人としての心を持ちました、てのがセオリーというものよ。そういう筋書きしか、とりえのないダメ男が可愛いアンドロイドを手に入れる方法はないの」
「何の話だよ。誰がアンドロイド欲しいって言ったよ。ダメ男って誰だよ。ましてや落とそうとか思ってないし、十七の多感な青年期に変な設定植え付けるな馬鹿親」
 祥子はテーブルに湯飲みを三つ並べながら、
「ひどい。いつものことだけどひどすぎる和也。あたしはただ清く正しくエネルギー溢れる立派な腐男子になって欲しいだけなのに。そして一緒にコスプレイヤーとして華々しく活躍して欲しいだけなのに。どうしてこんな子になっちゃったのかしら」
 と嘆いた。
 和也は湯飲みから熱いお茶をがぶりと飲んでむせながら、
「俺はこんな親に育てられたにしては考えられないくらいまともに育って褒められこそすれ文句を言われる筋合いはこれっぽっちもありません」
 と威張った。
 アイリーンは空気椅子に戻り、腕を元通りに取り付けた。
 祥子がお茶を勧める。
「アイリーンちゃんもどうぞ」
「アンドロイドってお茶とか飲めるのか?」
 息子の疑問に母が答えた。
「当たり前じゃない。今時のアンドロイドはねえ、ちゃんと食事機能っていうのがついてて、人間と同じように食べたり飲んだり舐めたりできるのよっ。ね、アイリーンちゃん」
「今時のっていうか、古今東西アンドロイドいないだろ。俺今日初めて見たんですけど」
「細かいこと気にすると禿げるわよ。そうよねっ、ねっ、アイリーンちゃんっ!」
 祥子に期待を込めて質問というよりは確認されたアイリーンは、機械的に答えた。
「いいえ、わたくしにはそのような機能は付いておりません。わたくしは電気で動くので、食物を摂取する必要はありません」
 がっくりとうなだれる祥子に、納得したように頷く和也。そんな彼らを前にして、アイリーンは湯飲みを手に取り、茶を啜りながらこう続けた。
「ですが温度調節の必要上水分は摂取できますし、舐めることもできます」
「まーっ! そーなのーっ!」
 なぜか嬉しげに目を輝かせる祥子に、和也は、
「御腐黒め……」
 と聞いただけではわからないように罵った。
「何か言った?」
「いえ……」
 祥子が怖いようなにこやかな笑みで和也を威圧するので、彼はいつも通り沈黙を守るしかなかった。その沈黙につけこむように祥子は命じる。
「そうだ、和也、あんた部屋片付けておきなさいね。アイリーンちゃんあんたの部屋に泊めるから」
「な」
 隣で状況を理解したアイリーンが「お世話になります」と礼儀正しく頭を下げる。
 突然のことに言葉を失いかけた和也だったが、慌てて反駁を試みた。
「どうして俺の部屋にこれを置かなきゃならないんだ? だから警察に連絡しろって」
「馬鹿息子っ! こういうときはこうするに決まってるでしょっ!」
 しごく当然といった祥子の叱責が飛ぶ。
「何がどういう法則で動いているのかいつもながら俺にはさっぱりだ!」
 混沌とした世界に向かって吼える息子に、母は毅然とした態度で応じた。
「大体コレとか言うんじゃありません。この子、とか、彼女、とか、もっと可愛く愛情込めて呼びなさい」
 主張する祥子の迫力にたじたじとなる和也。
「あんたは俺に何を求めてるんだ」
「詳しく言うと」
「言わんでいい。言わないでくださいとても嫌な予感がするので」
「そう?」
 残念そうな顔をした祥子だったが、くるりとアイリーンの方を振り返ると、
「そういうわけだから、今日から和也の部屋使っていいわよ。共同でねっ」
 と満面の笑みを振りまいた。が、
「俺は断固拒否する」
 和也はアイリーンの手を引き玄関へと向かった。
「ちょっと、どこ行くの」
 慌てたように止める祥子に、
「だから、警察だよ。落し物は交番へ」
「いやよっ、この子お母さんが拾ったんだからねっ! お母さんのっ」
「コドモかあんたはっ! 常識を考えろよ。百歩譲ってコレがアンドロイドだということは認める。現実を認識する。それを踏まえて俺は交番へ行く。なぜならコレが人でない以上、モノとして扱うべきであり、モノには持ち主がいるからだ」
「あんたってどうしてそんなに余計なところが冷静なのかしら」
 つまらなさそうに祥子が呟いた。
「持ち主なんか無視して、道ならぬ恋にラブラブロマンスしちゃえばいいのに」
 和也はひどく嫌そうに呟いた。
「あんたはすべての一言が余計だ。ほら行くぞ」
 だが、アイリーンの足が止まった。何度か引っ張られてもびくとも動かない。
「わたくしは行きません」
「あ?」
「わたくしはあの場所に戻されたくありません」
「……そういえば、ダンボールに入って泣いてたって……捨てられたのか?」
 訝しげに、やや同情をこめて和也は訊いたが、その問いは肯定されなかった。
「いいえ、わたくしは逃げてきたのです。ですからここに置いていただきたいのです」
「いいわよっ!」
 祥子が嬉々として発言するのを、和也が遮る。
「うるせえよ黙ってろ。……あー、逃げてきてどうしてダンボールに入って泣く必要があるんだ?」
「緊急時のマニュアルにそうありました」
「どんなマニュアルだよ……」
「道端でダンボールに入り、体育座りをして猫の鳴きまねをすること。そうすれば誰か優しい人が通りかかり、拾い、保護してくれる、と」
「いい加減極まりないマニュアルだなそれ。ていうかなくってそっちの鳴くかよ。ほんとにミーミー鳴いてたのか」
「はい。わたくしは室内用なので、長時間外にいることはできません。夜露はボディに毒ですから。また、わたくしが稼動し続けるには、電力を確保する必要があります。ですからわたくしには、保護を与えてくれるご主人様が絶対不可欠なのです」
 祥子の呼吸が荒くなっているのを和也は心の底から忌々しく思った。
「前のご主人様とやらはどうしたんだ?」
「亡くなりました」
「あー……なるほど……」
「わたくしには新しい主人が必要です」
 アイリーンはそっと和也の手をとり、自らの胸へと引き寄せた。上目遣いに小首を傾げ、願うように請うように。
「お願いします。わたくしのご主人様になってください」
 和也は頭が真っ白になった。決してアイリーンに悩殺されたわけではない。背後に感じる熱気にこの後の顛末がたやすく予想できたからである。
「かかか、和也っ、ここで断ったら男じゃないっ! いぃや、あたしの息子じゃない! なっちゃいな、なっちゃいなよご主人様にっ! ヒューヒュー、憎いねこの色男っ! ていうか断ったらもう二度とご飯作ってやんないっていうか家から追い出してやらぁっ!」
 めくるめく目眩の中で、和也は生まれてきた場所を呪った。
 子どもは親を選べない。
 それは残酷な真実だった。



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