小夜嵐

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
trackback: -- | comment: -- | edit

鰐と乾物屋 45 

 店長がお茶を啜る音が横から聞こえた。
「これにて一件落着」
「店長……いつのまにお茶淹れたんですか」
「あんたがグズグズしてるからだよ、まったく、あたしにお茶を淹れさせるなんて、罰当たりにもほどがあるよ」
「す、すみませんでしたあ」
 店長の唯我独尊ぶりはぶれないなあ。
 半ば感心しながら、「冷蔵庫にケーキがありますけど、いかがですか?」と訊いてみる。
「なんだって? メグ、さすがに気が利くねえ。あたしが見込んだだけのことはあるよ」
 今しがたグズと評した口で……まあいいや、気にしていても仕方がない。わたしは座布団の上で伸びをした。
「じゃ、落ち着いたことだし、みんなでいただきましょうか」
 ケーキは五つ。頭数は四つ。ここは買ってきたものの権利として、余ったひとつはわたしのものとさせていただこう。
 ひげと尻尾をピンピン立てながら、弾む足取りでちゃぶ台をくぐって台所へと向かう途中、ガラリと音がして白い耳が二本、にゅっと居間へ入ってきた。
「こんにちはー、ああもう、今回も疲れたようーなかなか着かないんだから……」
 ヒールの高いサンダルをぽいぽいと脱いで、一歩踏み込んだところで目が合った。
「あっ、猫! かわいいっ!」
 一声上げる間もなく、抱き上げられてしまう。ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、頬刷りされて初めてわかったのだが、中村さんは、けっこう化粧が濃い。
「にゃああああああ」
「おい、恵、悲鳴も猫みたいになってるぞ」
 さっきまで泣きべそをかいていた茂くんが、早々と復活して指摘してくれるが、まだ目が真っ赤だ。
「えー、この子恵っていうの?」
 わたしをぶんぶん振り回しながらニコニコしている。
 そういえば、中村さんには名前まで名乗っていなかったかもしれない。
 おろおろと両手を開いたり閉じたり窓拭きのパントマイムをしていた村山さんが、
「佐藤さんっ、大丈夫ですか? 中村さん、もうそのへんで放してあげてください」
 と助け舟を出してくれた。
「えっ……佐藤? この猫が? なにバカなこと……」
 鼻と鼻を突き合わせるようににらめっこをした。抱っこされたまま、どうしたものか冷や汗をかく気持ちで悩んでいたが、ようやく、
「すみません……佐藤です」
「ぎゃっ!」
 ぽいと勢いよく放り出されて、くるっと半回転してちゃぶ台の上に着地した。猫の柔らかい体、そして反射的な運動能力は、すばらしいものがある。わたしは体感した。
「佐藤さん!」
 村山さんが悲鳴を上げて、中村さんにつっかかる。
「なんてことするんですか! 危ないでしょう、いきなり放り出すなんて、失礼にもほどがあります!」
「だ、だって! だってびっくりしたんだもん!」
 半ばパニックになっている。わたしもさすがに驚いた。心拍数がうなぎ登りだ。しばらく尻尾を膨らませたまま動けないでいると、
「メグ、いつまでちゃぶ台の上にいるつもりだい、行儀が悪いよ」
 店長に叱られてしまった。好きで上がったわけじゃない、上がったというか、たまたま着地点がちゃぶ台だっただけで……と言い訳しようかと思ったが、なんだか疲れたのでしおしおと座布団の上に戻って丸くなった。
 動揺を押さえるために前足を舐めてみたら、茂くんが「すげえ……もう人間だったころの名残のかけらもねえな」と非情な言葉をくれた。
「みんなひどい……ていうか、まだ人間だよ……?」
「語尾が疑問系だったぞ、今。自分でもわかんなくなってきてるんじゃないか?」
「そういわれれば、そうかも」
「さ、佐藤さん、しっかりしてください。大丈夫、ちょっと猫っぽくなってるだけですから」
「そうですか? そうかなあ?」
「佐藤さーん!」
「ぎゃあ!」
 中村さんが再び悲鳴を上げた。指の示す方向には、村山さんの尻尾がある。
「な、なにそれ! 悟まで、なんなのそれ!」
「ああ、これですか」
 村山さんは自らの尻尾をちょっと持ち上げると、
「生えました」
「なにそれ!」
「そんなに驚くなよ、ちょっとワニ成分が増えただけだろ」
 茂くんが、さっきまでの混乱を忘れ去ったかのように中村さんをなだめにかかった。だが目がまだ赤い。
「なにそれ! わけわかんない!」
 まったくだが、わけがわからないなりに、落ち着こうとしたのか、彼女は座布団を引き寄せてそこに座った。まだ息が荒いが、胸を押さえた手はしっかりして見える。
 ちゃぶ台の向こうからわたしのことを睨みつけた。
「猫、いつからよ」
「ええと、今日からです」
「なんであんたばっかりそんななのよ!」
「そんなこといわれても、なろうとしてなったわけでは」
「なろうとしてなるのは、超ど級の天才か、超ど級のアホだよ」
 店長が横槍を入れてきた。
「店長はどっちだったんですか?」
 ニヤリと笑う、唇のゆがみに寒気を誘われる。
「当ててごらん」
「やめときます」
 ぶすくれていた中村さんが、今度は村山さんに向かって問いを投げかけた。
「悟はどうしてよ? ずっとここにいる気なの?」
「……わからない。でも、俺、ここが好きだし」
「なんでよ。ねえ、一緒に行こうよ。ここから出ようよ」
 まだワニじゃない腕を引っ張るようにして、言い募る。
「二人ならやっていけるよ。絶対大丈夫だから、あたしと一緒に行こう」
「それは、無理だよ」
 中村さんが傷ついたように掴む手を緩めた。
「二人だからとか、そういうのは関係ないよ。独りでもやっていけるようにならないと、二人になったからって、大丈夫ってことはない。俺の場合、辛くなるだけだと思うから。中村さんのためにもならないよ」
「そんなことないもん。あたしは幸せだよ? 悟と一緒なら、それでいいの」
「ごめん」
 ふにゃっ、と顔をゆがませた中村さんはけっこう可愛かったのだが、次の瞬間般若の面を被ったようにこちらを睨みつけられて、思わず耳が後ろへ引っ張られるような気持ちになった。
「あんたのせいっ!」
「り、理不尽です……」
 さすがに抗議してみるが、勢いに押されて小声になってしまう。
 横から店長が「もっと気合入れていきな」と無責任な野次を飛ばしてくるし、これが四面楚歌というものなのだろうか。
「中村さん、佐藤さんのせいじゃないですよ。いい加減にしてください」
「だって」
「だってじゃありません」
「だって、あたし悟がいないとダメなんだもん」
「ダメにならないようになってください」
 店長がお茶を三啜りする間、唇を精一杯引き締めて我慢していた中村さんの大きな目から、涙がぽろぽろこぼれ始めた。涙が膝の上を塗らす面積が増えると共に、しゃっくしゃっくと嗚咽が聞こえてくる。このまま聞いているのはたまらないが、またぶん投げられては恐ろしいので、近寄って慰める勇気が持てない。村山さんはこれ以上何か言ってはヤブヘビとみたのか、耐えるように自分の膝小僧を見つめている。
 茂くんがため息をついてポケットからハンカチを出した。
「ほら、拭けよ。顔ぐっちゃぐちゃだぞ」
「うるさいっ」
 ひったくるように受け取ると、化粧を崩さないように丁寧に涙を押さえる。
「おっ男のくせにっなんでハンカチなんか持ってるのよ」
「男のくせにって……いいじゃねーかよ、別に……持ってたって」
 口とは裏腹に、バツが悪そうにもぞついている。
「ねえちゃんもさあ、兄ちゃんに甘えすぎなんだよ」
「あんたに言われたくないっ」
 マスカラに触れないように、目の淵ギリギリに器用にハンカチを使いながら切り替えした。茂くんはというと、自覚があったのか、うっ、と詰まるが、「いいんだよ、俺は弟なんだから」と開き直った。
「ねえちゃんは幼馴染ってだけだろ。こんなとこまで来る理由ないじゃん」
「あるよっ。初恋の人だもん」
 はじめて猫で得をした。人の姿であれば、耳まで真っ赤になっているところだ。座布団に顔を押し付けたわたしを覗き込むような、「どうしたんだい」と店長の笑いを含んだ声が聞こえた。
「そっとしておいてください。耐えますから」
「ほうほう」
 サンタみたいな声音だった。
 絶句していた茂くんが「そ、そうか」とようやく言葉を継いだ。
「それは、残念だったな」
「なにがよっ」
「ふられたじゃん、今」
 あまりのストレートな言い様に、わたしは思わず座布団から顔を上げた。今度は中村さんが絶句している。いつからかわからないが、隣で村山さんも絶句している。
 その様子から、やっと己の失言に気づいた茂くんが冷や汗をかきはじめたとき、中村さんの目から再び涙がこぼれ始めた。
「わあっ」
 茂くんが窓拭きのパントマイムを始めた。
「ごめんごめん、ごめんっ! そんなんじゃなくて、違くて、そのな、つまり、大丈夫だって! ぜんぜん、これから、がんばればいいじゃん!」
 言葉が大分混雑しているが、励まそうとしているのだろう。だが、
「うううううー」
 もはやハンカチに顔を埋めるようにして泣きはじめた中村さんにはノイズにしか聞こえないに違いない。
「バカだねぇ。ほとほとバカだねぇ」
 店長が左右に首を振りながら言った。
「アホとは違うんですか?」
「似て非なるものだね」
 違いがよく理解できない。
 村山さんはというと、泣きしきる中村さんの横で、胃の辺りを押さえてしなだれていた。頼りにならない。
 わたしが出て行ったら逆鱗に触れそうなので、しばらく茂くんに任せて様子を見ていたが、やがてかける言葉もなくなったのか、疲れたように肩を叩くのみになった。二人ともなんだか息が途切れ途切れだ。
「面白いね」
「店長の人非人」
「あたしが人に見えるかい」
 店長の問いかけは答えられないものばかりだ。
 そっと座布団から下りて、ちゃぶ台に隠れるようにして茂くんの袖をちょいちょいとつついた。爪が引っかからないように充分注意を払う。
 なんだよ、の「な」の口の形を見せたところで、「しいっ」と口の前でひとさし指を立てて黙らせる。猫の手は意外と器用なことができるものだ。そのままくいっと指で引き付けて、二人して台所へ向かった。
 冷蔵庫の中にはケーキの箱が冷えている。
 茂くんに箱を持たせて、中村さんの前にやってきた。箱の蓋を止めているテープを爪でサッと切り込む。蓋を開けると、甘いクリームの匂いがふわっと広がった。中村さんがハンカチに埋めていた顔を上げる。ハンカチの隙間から見える目がケーキを捉えていた。
「よかったら、ケーキでも食べて落ち着いてください。ほら、全部食べていいんですよー」
「おいっ! 俺のは?」
「ないよ」
 茂くんの主張をただちに却下して、涙がこぼれた膝を肉球でやさしく叩いた。
「たくさん泣いて疲れたでしょ? 疲れたときには甘いものがいいそうですから」
「ふっ、太るもん……」
 意地がとれないのか、ケーキを気にしながらも拗ねたように、また、ハンカチで顔を隠してしまう。恥ずかしがっているのかもしれない。
「一日くらい大丈夫ですよ。今日だけ食べて、思いっきり食べて、それで、ぐっすり眠ったらスッキリしますよ。後のことは明日考えましょう」
 おいしいですよ、ここのケーキ。
 その一言で背中を押されたのか、すんなり白い指がおずおずとショートケーキを摘み上げた。セロハンを剥がして、ぱくりと食らいつく頬にクリームがべったりついてしまう。そんなことを気にする様子もなく、もう一口、もう一口、中村さんは食べ続けた。
 咀嚼を終えて喉が満足げに上下する。
「……おいしいー」
 目じりから涙が一筋こぼれた。鼻を啜りながら今度はマロンケーキに手が伸びる。「あっ俺狙ってたのに」と茂くんが小声でショックを訴えたので、後ろ足で蹴りを入れておく。
 フォークも使わず、ひたすらケーキを掴み、食らいつき、飲み込む。フルーツケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ。しゃくりあげながら、時折涙も一緒にして、ケーキたちはすべて中村さんに納まってしまった。中村さんはケーキと一体化したように甘い匂いを放ち、眠そうに目じりに残る涙を拭った。
「本当に全部たいらげやがった……」
 信じられないように茂くんが空っぽになった箱を見つめている。
 そんな絶望の響きに頓着することなく、中村さんは座布団を二つ折りにして、それを枕にして横になった。顔の脇に重ねられた指先にチーズケーキの欠片がくっついている。わたしは瞼をうとうとさせているのを覗き込むと、その欠片をぺろりと舐めた。
 中村さんの腕がのろのろ動いて、わたしを羽交い絞めにする。わたしは逆らうことなく、彼女の体に沿ってじっとしていた。
「あったかい」
 半ば眠ったような口から零れる言葉はささやくようだった。涙はもう乾いている。ついでに頬にくっついたクリームもカピカピになりつつある。
 寝息が安定してきたのを見計らって、わたしは中村さんの腕から抜け出た。すかさず村山さんが、二つ折りにした座布団を腕の間に差し込んでくれる。中村さんはそれをぎゅっと抱きしめるように縮こまり、すやすやと寝息を深めた。
 村山さんのため息が頭の上を通り過ぎる。今までずっと息を詰めていたのかもしれない。
「ケーキ……」
 茂くんが未練がましくぼそっとした声を出すが、「また買ってくるよ」とは言ってやらないことにした。甘やかすばかりもよくない、と学んだのだ。
「やれやれだねえ」
 いつの間にか、店長がキセルをふかしている。さすがにケーキのことで文句をいうような子供ではないらしい。
「しかしまあ、治まるとこに治まったようだし、めでたしめでたし」
「似たようなことをさっきも言ってらっしゃったような」
「実際はめでたくもないしねえ」
「店長……」
 村山さんがガックリと顎を落とす。
「さ、誰かこの年寄りに茶でも淹れておくれ。熱っついのだよ」
「そんなに年でもないくせに」
 村山さんが尻尾を引きずりながら台所へ消えていった。
 隣からはしつこい呟きが続いている。
「俺のケーキ」
「煮干でもおごってあげるから黙りなさい」
「煮干がケーキの代わりになるかよ」
「なるよ」
 きっぱり言い切るととまどったような沈黙の後で、
「……ならないだろ?」
 と頼りない、それでも根底に自信が透けてみえる声を出すので、
「なる!」
 再び言い切ると彼は座布団の上で大人しくなった。
「お茶が入りましたよー」
 お盆の上に湯飲みが四つ湯気を立てて運ばれてきた。お茶請けに茎わかめがついている。
「わあ、わたしこれ大好物です」
「よかった。せめてものよかった。お代わりありますから遠慮しないで全部食べてください」
「わあい」
 喜んで茎わかめをつまむわたしの横で、茂くんが納得いかないように「すっぺえ」と呟いた。


戻る←  →進む

スポンサーサイト
thread: オリジナル小説 | janre: 小説・文学 |  trackback: -- | comment: -- | edit

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。