小夜嵐

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鰐と乾物屋 41 

 人間の手のひらに肉球が張り付いているのではない。よく見るまでもなく、だがよく見てしまうのだが、手の甲は毛むくじゃらで、すべすべした毛にふわふわ覆われていた。この手には見覚えがある。
 猫の手だ。
 指の先に力を入れてみる。爪が出た。
「ぶっそうなもの、お出しでないよ」
「あ、すみません」
 ひっこめる。
 しばらく遠くを見つめながら考えた。木立が覆う道なりに、背の高い草しか見えない。考えた後、考えても仕方ないやということに気がついて、覚悟を決めて自分の体を確認した。真っ黒だ。そして毛皮だ。
 わたしは先ほどまで生成りの綿のシャツと、ふわっとしたアクリルのスカートを身に着けていたはずなのだが。わたしの服はいったいどこへ行ってしまったのだろう。爪先を見ると、いつもならそれは地面に続いているはずなのだが、目線は踵よりも高い位置に捉えられた。ああ、わたしは今スコティッシュ座りというやつをしている。
 尻の辺りが落ち着かないので、ちらりと目をやると、何か長いものがぶんぶん揺れる残像が見えた。
「珍しい尻尾をお持ちだねえ。いかしてるよ」
 店長がぜんざいを啜りこみながらお愛想をくれた。
「店長、現実逃避させてくれませんか」
「これ以上どこに逃げるんだい」
 やむなくわたしは揺れる尻尾らしきものを受け止めようとしたのだが、ままならない。手を寄せると逃げていく。掴まえようとするとすり抜けていく。ちょっと楽しくなってきて、じゃれつかないように必死で自分を抑えた。
 やっとの思いで尻尾を両手の間に捕らえることができた。
「わあ、二股だ」
 わたしは猫又であったのか。知らなかった。
 尻尾は手の中でいやいやをするようにうごめいていた。
「あ」
 ちょっと油断した隙に、尻尾がどこかへ行ってしまう。片手でキャッチしようとするが、うまく掴めない。
「自分の尻尾くらいちゃんとコントロールしないか」
「そんなこといっても、こればっかりは。そんなことより、店長」
「なんだい?」
「わたしの服はどこにいったのでしょう」
「なんだ。服なんて、着たいときに着ればいいんだよ」
「今着たいんですけど。わたし裸なんですか? ですよね?」
 意外と器用に動く両手で体を覆ってしまうが、何の役にも立たないし、毛がふわふわして気持ちがいい。
「細かいこと気にするんじゃないよ。おまえさんには、立派な毛皮があるじゃないか」
「こころもとないです」
「服を気にする前に、ほかに気になることはないのかい」
「毛皮が気になります」
「三味線にしちまうよ」
「きゃあ!」
「これ、冗談だよ。逃げなくてもいいじゃないか」
 思わず逃げ出すが、尻尾を握られて前に進まない。腰掛に爪を立ててしまい、表面がちょっと毛羽立ってしまった。
「猫の尻尾は引っ張っちゃいけないんですよ」
「おまえさん、猫だったのかい」
「見たところそんな感じです」
「それを受け入れるのかい?」
「それならそれでしょうがないです」
「ふうん」
 手を放されて、ちょっと前につんのめる。
「ひどいなあ、もう」
 解き放たれた尻尾を抱きしめて、スコティッシュ座りに戻った。
「あんみつ遅いですね」
「開き直り方が堂に入ってるね。たまげたよ。なんでこうなったのか、とか考えたり憤ったり地団太ふんだり転げまわったりのたうちまわったりしないのかい?」
「そういうのは、もう、飽きました。乾物屋さんで大分鍛えられましたし」
「なんだ、つまらない」
「何を期待してたんですか、まったくもう」
「それでいいのかい?」
「人生こんなもんです」
「猫でもかい?」
「どうしますかねえ」
「どうにでもなるだろ」
「わたしもそう思います」
 目の前を蝶が通りすぎていく。まるで風に運ばれているみたいだ。
「いい陽気ですね」
「ほんとにねえ」
 猫のように丸くなって一眠りしたいところだ。今のわたしは猫の形をしているのだし、やってやれなくもない。尻尾を枕にして、少し眠ってしまおうかな、という誘惑と戦い始めたとき、
「あんみつお待ちどおさまでしたー」
 前掛けをつけたリスがお盆の上に冷たそうなガラスの鉢を載せてやってきた。
「あ、どうも」
 お盆ごと受け取って膝の上に載せる。安定が悪い。仕方なく脇に置いて、鉢を手に持って匙を入れた。とろりとした蜜が絡んで、寒天や果物がきらきらと輝いている。豪勢なことに、本物の杏仁豆腐が入っている。それは口の中で蕩けるような柔らかさを解き放ち、ぷるんと喉へ落ちていった。後に残った控えめな甘さと芳香が、舌鼓を打ちたい気持ちを促してくれる。
「ふわあ、美味しいです」
「あら、ありがとうございます」
 リスがつぶらな瞳をにっこりと微笑ませ、奥へと消えていった。
「店長、このあんみつ美味しいですねえ」
「そうだろう、この甘味所はなかなかのもんだろう」
「はい、絶品です」
 店長はぜんざいの中の白玉を箸の先で摘まんで口に放り込んだ。
「ときに、メグやい」
「はあ」
「何の用でこんなところまでやってきたんだい。そんな姿にまでなって」
「あ」
 ごめんなさい、村山さん。心の中で深く謝罪した。
「すっかり忘れるところでした。実は、村山さんが姿を消してしまわれて。行方不明なんです」
「……そういうことは、始めに言うもんじゃないのかい?」
「そう、ですね。つい、うっかり」
「あんみつ食べてる場合かい」
「でも、美味しいです」
「ムラとどっちが大事なんだい?」
「うう」
 捨てがたいあんみつを急いで半分ほど平らげた。すべてを胃袋に収める時間はなさそうだ。汁まで飲んでしまいたいところだが、名残惜しくガラスの鉢を置く。
「お勘定は?」
「ツケだよ」
 店長が奥へ向かって、「ごちそうさま。またくるよ」と声をかけると、「おそまつさまです。またおいでください」と可愛らしい応えがあった。
「さて、さっさと行くかね」
 ぴょんと腰掛から飛び降りるようにして、店長が歩き出した。わたしもちょろりと後を追う。見かけによらず、意外と足が速いので、こちらは小走りだ。
「店長、村山さんの行き先に心当たりが?」
 迷いのない、自信たっぷりの足取りである。
「そりゃあね。これでも店長だからね」
「頼もしいなあ」
「それにしても、ムラはまたなんでそんなことになっちまったのかね?」
「それはですね、イレギュラーな事態がありまして……」
 道々、茂くんから聞いたことを伝えながら歩を進める。説明が終わると、
「ああ、情けない。情けなくて涙が出るよ」
 嘆かれてしまった。
「そんな、村山さんも、急なことで心の準備とか……いろいろショックだったんですよ」
「なにがイレギュラーだい。世の中そんなことばっかりだよ。いい大人がそんなことくらい、対応できなくてどうするね」
「厳しいですね」
「甘いばかりじゃなにもどうにもならないだろうよ」
「はあ」
 店長の叱責を、なぜかわたしが受けているうちに、乾物屋の裏まで来てしまった。
「それにしてもあんた、なんで二本足で歩かないんだい?」
「え」
 そういえば、肩が動いてるなあと思っていたら、わたしは四本足で歩いていたのか。後ろ足で立ち上がって、じっと前足を見る。肉球に土ぼこりがついていたので、はたいた。
「今気がつきました」
「順応が早すぎるよ。習うより慣れろっていうけどねえ。その姿に疑問はないのかい」
「疑問が大きすぎると却って無力感に囚われてどうでもよくなったりするんです。それに、慣れてみると悪くないような」
「肉体的な疑問は?」
「それは、さすがに、わたしだってこの足の泥を舐めてキレイにしよう、とまでは思えませんから、本質的には猫ではないといえるのでは?」
「そうかねえ。猫に見えるがねえ」
「ひとを見かけで判断しないでください」
「自分だって、さっき猫だと言っていたじゃないか」
「そんな感じはしてますが、ちょっと変わった兎かもしれないし」
「犬では?」
「犬に見えますか?」
「猫に見えるって言っただろう?」
「じゃあ、猫なのでしょう」
「猫ではないって言ったじゃないか」
「言いましたけど、もう猫でいいです」
「どっちなんだい」
「どっちでもいいんですよ」
「そうかい」
「そうです」
 わたしたちは板塀の隙間から裏庭へ入った。


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