小夜嵐

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鰐と乾物屋 34 

「店長ー、この煮干食っていい?」
「食うなら金払ってからにしな」
「ケチ」
「減らず口は稼げるようになってから言うんだね」
 口を尖らせて煮干の瓶を棚に戻す。茂くんはすっかりこの店になじんでいるようだった。
 わたしは初夏のさわやかな風が裏庭から居間を通って店へ抜けるのを感じていた。汗ばんだ肌が冷え冷えして気持ちがいい。
「いい風ですねえ」
「はい。乾き物商売ですから、湿気を掃ってもらえれば助かりますが、気温が高いと足も早くなるので困りものです」
「小売って大変ですね」
「気は使いますけど」
 村山さんが冷たい麦茶を出してくれた。
「おーい、茂、麦茶あるぞー」
「飲む」
 店先で店長と丁々発止していた茂くんが駆け足で居間のほうへ上がってきた。あれからさいさい、塾や学校の合間を縫って通っているらしい。
「まったくもう、うちは乾物屋で寄り合い所じゃないんだよ。あんたといい茂といい、買いもしないのに駄弁りにくるんじゃないよ」
 店長がちょこちょこと指定席について、「あたしには熱いのをおくれ」と村山さんに命令する。
「ひどいなあ。わたしはちゃんと買いに来てますよ。ほら、今日も昆布を補充に」
 本日の収穫品の紙袋をがさつかせて掲げてみせる。出汁に魅了されて以来、この店の昆布が欠かせなくなってしまったのだ。もちろん、カツオも煮干も良い。だが今は、わたしの心は昆布が独占している。
「ふむ、結構だ。茂は何を買いに来たんだい?」
「煮干」
 茂くんは煮干にハマってしまったらしい。わたしが背を伸ばしたいなら牛乳より煮干が効果的、と言ってからおやつを全て煮干に切り替えている。影響を受けやすい年頃だ。健康的でいい。
 店長は嘆かわしげに首を振った。
「しょぼい客だねえ」
「仮にも客に向かって、ひどいですよ、店長」
「そうだよ、客だぜ、お客様は神様じゃねえのかよ」
「おだまり、若造。昆布と煮干くらいで威張るんじゃないよ」
 わたしは抗議しただけで威張ってないのに茂くんと一緒くたにされてしまって少々心外だ。店長からしたらわたしも茂くんも似たようなものなのだろうが、複雑なものがある。
「まあまあ。賞味期限切れの羊羹ありますよ。いかがですか?」
「わっ、いただきます!」
「げっ、食べれんの?」
「食べられるよ。たぶん」
「なんだよたぶんって。大丈夫かよ」
「大丈夫、たぶん」
 盆の上に羊羹が四個、品良く並んでやってきた。黒い四角の隅が紫色に透けていて、涼しげな中にも凛としたたたずまいを感じる。
「売り物なんですけど、期限切れちゃったら食べてもいいってルールがあって」
「わあい、ありがとうございます。でも、羊羹も扱ってたんですね。知らなかった」
 わたしの質問には、店長が答えてくれた。
「このご時世、干物ばっかり売ってちゃやってけないからねえ」
「ふうん」
 店長の前にうっすら湯気の上がる湯のみが置かれた。もう気温が高いせいか、湯気はもくもくとした風情ではないが、それでも見ているだけで汗が出る。
「夏だからって、冷たいもんばっかり摂ってると却って体に毒なんだよ」
 わたしの視線を了解して、店長が先回りした。
「夏は熱い麦茶に限るねえ」
 細面の顔には汗も浮いていない。意識的に摂取するものを変えるだけで汗腺すらコントロールできるようになれるのだろうか。果たしてその境地まで行くのに、どのくらいの鍛錬が必要だろうか。難しい問題だ。
「俺、芋羊羹のほうが好き」
「わがままいわない」
 村山さんが竹の楊枝をセッティングしてくれる。羊羹を載せている小皿も竹だ。
「これ、涼しくていいですね」
 というと、嬉しそうに笑ってくれた。
「佐藤さんなら気づいてくれると思ってました」
 ニコニコしながら、「おかわりもありますから、遠慮なく」みんなで席について、「いただきます」と唱和した。
 竹の楊枝の削ぎ落とされた先端が、つるっとした黒に突き刺さる。弾力のある表面が一瞬、楊枝を弾き返し、返しきれずぷりん、と割れるようにゆっくりそれを受け入れていく。
「夏は羊羹ですねえ」
「できれば水羊羹が良かったねえ」
 店長がちんまり羊羹の端っこを切り取りながら言った。
「じゃあ、水羊羹も入荷してくださいよ」
「あれは足が早いからだめだよ」
「結構持ちますよ、数ヶ月は」
「半年くらいじゃダメだね。めったに売れやしないんだから」
「じゃあ、羊羹も売れないのでは……」
「そうだよ。だから今食べてるんじゃないか」
 もっちりした黒い塊を噛み締めつつ、「店長、自分で食べたくて買ったんじゃないんですか?」と訊ねてみたが、応えが返って来る前に、ガラス戸を引き開けて中村さんが入ってきた。
「こんち……なんで茂がいんの?」
「あ、優ねえちゃんだ」
 中村さんの名前は優というのか。優子、とか優華、とかいう可能性もあるなあ。村山さんと親しいようではあったが、茂くんとまでなじみとは考えていなかった。
「なにその耳。コスプレ?」
「うっわー。ここでその単語聞くとは思わなかった。……て、なんであんたまで仲良くお茶してんのよ。腹立つわ」
「あんたってわたしのことでしょうか」
 店長に耳打ちしてみると、「他に誰がいるんだい」と言われてしまった。
「そんな気はしたんですが、店長の可能性もあるかな、と」
「ないよ」
 中村さんは華奢なパンプスを傷つけないよう、手で丁寧に足から引っこ抜くと、村山さんの隣に座って腕に巻きついた。口が尖って頬が少し膨れている。
「ねえちゃん、何むくれてんの」
「むくれてない」
「ほっぺたパンパンじゃん。昔っから変わんねえよな、そゆとこ」
「むくれてないっつってんだろ、タコ! 大体、なんであんたまでここにいるの? 塾はどうしたんだよ、この不良息子!」
「関係ねーだろ!」
「大体、だいたいさあ!」
 茂くんの羊羹に手を伸ばし、わしづかみにするとピンクの口で齧りついた。
「あっ、俺の!」
 もっちもっちと音を立てて咀嚼しながら、
「あんた、なんでここに来れたの?」
 イノシシにタイマンを張るような目で睨みつけられて、茂くんは抗議を引っ込めてそっぽを向いた。力関係は中村さんのほうが上らしい。
「なんでって……普通に」
「普通にって……何度目よ」
「えーと、何度目だっけ」
 真正面から訊かれて、とまどってしまう。数えてないぞ。村山さんに視線で助けを求めると、「週に二回くらいで……六、七回くらいですかねえ」と答えてくれた。
「だってさ」
 茂くんはそっけなく言いながら、村山さんの羊羹の皿を手元に寄せた。村山さんは抵抗することもなく泰然と構えている。
「最初のころはあいつに連れてきてもらってたけど、もう独りで来れるようになったし」
 それを聞いて、中村さんは食べかけの羊羹をちゃぶ台に叩き付けた。
「嘘つき! あたしなんか、十回に一回来れればいいほうなんだからね! なんであんたなんかが来れるようになるのよ!」
「そんなこといわれても」
「むっかつくー! もう、何もかもがむかつく!」
 今度は、村山さんの膝にダイブすると、胴をぎゅうぎゅう締め付けながら、足をバタつかせる所業に走った。
 慣れているのか、村山さんは悟ったように無抵抗だし、茂くんは「ほこるほこる。埃が立つから止めろよ」と気のなさそうに羊羹をぱくついている。
「情熱的ですねえ」
「美点でもあり、欠点でもあり」
 熱い麦茶の入った湯飲みを、店長が優雅に傾けた。


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