小夜嵐

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
trackback: -- | comment: -- | edit

鰐と乾物屋 31 

 もうすっかり行きなれた道を、この前と同じようにわたしが先導して茂くんと歩いた。
 小道に入るとき、茂くんが躊躇しているようだったが、構わず板塀の間に入った。
 梅雨が空けてから日増しに繁茂してくる草を掻き分けながら、パンプスを履いてきたことを少し後悔した。かろうじて道らしき地肌が見えてはいるものの、両脇から背の伸びた萱やブタクサや名も知れぬ草が覆いかぶさっている。雨上がりでもないのにしっとりと水を含んでいるようで、スカートの裾が冷たくなってきた。
「茂くん、カエルとか踏まないように気をつけてね」
「ええ、カエルいるの?」
「いるんじゃないかなあ。あんまり見たことないけど、踏むの嫌だし」
 茂くんがぐげえ、と踏まれたカエルのような声を出した。踏んだことはないが、改めて踏みたくないなあと思った。できれば一生踏みたくない。よりいっそう足元に気をつけて歩みを進める。
 足取りが急に遅くなったせいか、茂くんの押す自転車がわたしに体当たりしてきた。
「わあ、何すんの」
「あ、ごめ」
 車輪がお尻にバッチリぶち当たって、スカートの後ろを見れば、案の定泥が染み込んでしまっている。
「ああ、もう」
 泥は落ちないんだ。これはもう部屋着降格決定だ。
 一瞬で諦めて、しかしそのままにしておくわけにもいかないので、自転車のカゴに入れてもらっていたバッグからウエットティッシュを取り出して、一応丹念に拭いておく。ちまちま拭いていたら、茂くんが責任を感じたようで、気まずそうに「俺、弁償するよ」と言ってくれた。
「いいよいいよ、そんなの。たいした服じゃないし」
「でも、俺がボーっとしてたせいだし」
 しょんぼりしている様子は、最初に会ったときの印象とはずいぶん違う。彼が変わったのか、彼を見るわたしの目が変わったのか、あるいは両方か。
「いいって。急いで洗えば落ちるかもしれないし。どうせ、汚れなんて、そこら中でつくもんだし」
「そうなの?」
「そうだよ。行こうか」
「……うん」
 乾物屋さんが近づいてきた。板塀と板塀の隙間に、隠れるようにたたずんでいる。前庭は相変わらず草ぼうぼうで、いや、よりいっそうパワーアップした感がある。これはスカートびっしょりコースを覚悟しなくてはなるまい。着替えを用意してくるべきだったが、後悔してももう遅い。
「さあて、乗り込むか」
 気合を入れて茂くんの方を見ると、なぜかきょろきょろと辺りを見回している。
「どうしたの?」
 声をかけると、少しばかり言いよどんだ後、「やっぱ、ここおかしいと思う」と弱弱しく発言した。
「うん、そうだね、じゃ、行こうか」
「ちょっと待てよ」
 乾物屋敷地内に一歩踏み込んだ足を引いて、茂くんをまじまじと見る。
「なに?」
「いや、だからさ。……一昨日も、俺、ここ来たんだけど、なかったんだよ」
「はあ、……何が?」
「だから、ここ、ずっと板塀で、塀が続いてるばっかで、こんな空き地なかったんだって。三回来たけど、三回ずっとなかったんだよ。今日来て確信したけど、道は間違えてない」
「そっか、そんなこともあるんだね」
 納得してあげたのだが、茂くんはなぜか泣きそうな顔をした。
「変じゃない?」
「変だよ」
 茂くんは顔を両手で覆って唸り声を上げた。自転車が茂くんにもたれかかって、前輪部分ががくりと折れる。
 肯定したのに、何を悩むことがあるのだろう。
「ほら、行くよ。村山さんが待ってるよ」
 注意深くスカートを手で押さえ、撒きスカート風にしながら、草を踏み分ける。背後から自転車の車輪が回るちりちりいう音がした。
「こんにちは」
 自転車を止める場所を探す茂くんに先駆けて、声をかけると、ガラス戸の向こうに緑色が透けて見えた。がしゃんと戸にぶつかり、慌てた素振りで引き開けられる。
「い、いらっしゃいませっ」
 後ろ手で戸を閉めて、足を踏み外しそうな勢いでこちらへやってくる。
「どうしたんですか、そんなに慌てて。あ、もしかして、寝てました?」
 茶化すわたしに、村山さんはぶんぶん首を振った。
「て、店長が、急に来て」
「店長が」
 実は昨日、会社帰りにここに寄って、村山さんにあらかじめ今日の来訪のことを告げておいたのだ。村山さんは何から何まで……と恐縮していたが、心の準備ができて良かったと言ってくれたのだったが。
「今日は店長が寄る日ではなかったのでは?」
「たまにふらりと現れるんですが、運悪く」
 店長はなかなかのやり手で、いくつも他の店を仕切っているらしい。それらの店を順番に見回っているそうで、スケジュールは決まっていると聞いてはいたが。
 たまにスケジュールを無視してひょっこり現れるようだ。
「……で、なにをそんなに慌ててるんですか?」
「だって、だって茂がいるのに、店長がいるなんて」
 わたしがはじめて店長と会ったときを思い出す。村山さんはここまで慌ててはいなかった……むしろ、ごく普通に応対してくれたような気がする。
「大丈夫ですよ。たぶん」
「大丈夫じゃないですよ! だめですよ、今日は申し訳ないけど、帰ってもらわないと」
「そんなに心配しなくても……わたしのときは平常心だったじゃないですか」
「それは佐藤さんだったから」
 わたしは鉄の心臓を持っていると判断されていたということか。
 心中複雑になりながらどうしたものか考え込んでいると、茂くんが自転車を止め終わったらしく、わたしのバッグを持ってきてくれた。
「おーい、これ」
「あ、ありがとう」
「……兄ちゃん、何キョドってんの」
「いや、そんな、ないない。キョドってないよ。そうだ! 今日は都合が悪いから、また今度にしないか? そうしよう、な、茂くん」
「……キョドってるよな?」
 訊かれて、わたしはどう答えたものか悩んで視線を逸らした。
「……うーん……」
「さ、佐藤さあん! お願いします。茂を説得してください」
「……うーん……」
「佐藤さあーん」
 村山さんが面白いのでもう少し引き伸ばしたいところだが、それも悪い気がして、
「……じゃあ、茂くん、今日は引き上げようか?」
「えー! せっかく来られたのに!」
「仕方ないよ、都合悪いみたいだし。公園かどっかでお弁当食べて帰ろう」
 不満な顔を隠さないが、弁当には心惹かれるものがあるらしい。しばらく考え込んだ後、「……わかった」と理解ある態度をとってくれた。
「でも、また来るからな」
「じゃ、そういうことで、本日はこれで」
「弁当かい。いいねえ」
 甲高い声が聞こえた。
 村山さんの猫背が瞬間的に矯正された。
「ここで食べたらいいじゃないか?」
「誰?」
 茂くんが無邪気に辺りを見回す。でも違うんだよ、茂くん。足元から一メートル以上の場所に、その声の主は見えない。
「え、どこにいんの? 奥? 客でも来てんの?」
 わたしはちらりと村山さんの後方、下方を見た。ガラス戸の開いた直系二十センチほどの隙間に納まるように、その人影、もとい人形影は存在した。
 敏いことに、茂くんがわたしの視線を追って、人形影に気づいた。
 村山さんは完全に硬直している。首筋を汗が一滴落ちていくのが見えた。
「何、あれ人形?」
 どう説明しようかなあ。説明しないことで状況を受け入れていたので、いざ「何?」と訊ねられると、非常に困るんだよなあ。
 たぶん村山さんも困っている。
 二人の困った大人を横にして、茂くんは無邪気な理性で「どしたの?」と訊く。
「レディに向かって人形はないだろうよ。ま、人形のように愛らしい、て意味ならまんざらでもないけどねえ。何、とか失礼だねえ」
 店長は袂を探って小さなキセルを取り出した。カエルのように愛らしい手でタバコを詰めて口にくわえる。茂くんの目が輝いた。
「すっげえ! カラクリ細工っていうの? これそうだろ!」
 うーん、本当に困った。
「失礼な坊やだよ! 誰がカラクリだい」
「これ、しゃべれんの? え、どういう仕掛け? AIとか人工知能入ってるの?」
 すげえ、アイボよりすげくね? と茂くんはロボット工学に興味でもあるのか、店長に近づいてひょいと持ち上げようとした。
「あ」
「ああ!」
 村山さんの制止の悲鳴は通じなかったが、茂くんの手は店長に触れる前に、キセルによって叩き阻まれた。流れるような美しい動作だった。
「いってえ!」
「初対面の女に気安く触れるもんじゃないよ、この小僧っ子め」
「えええ、……え?」
 茂くんは少しばかり赤くなった手をもう片方の手でさすりながら、何事かに気づいたように一歩後ずさった。
 思い込みが激しいところはあるのだが、勘は悪くないんだよなあ。だが包容力はまだまだらしい。認めるまでにはまだ時間がかかるだろう。すがりつくように見つめられて、わたしはそっと視線を逸らした。
「いや、いや……いや、まさか」
 シャツの胸の辺りを握り締めて、店長を凝視している。鼻の下に汗の玉が浮いて見えた。
「あんまりじろじろ見るんじゃないよ。……ほ、あたしがあんまりいい女だから、惚れたかい?」
 店長の微笑を受けて、茂くんはゆっくりと後ろに倒れた。
「わあっ」
 村山さんが急いでぐんにゃりした体を抱きとめる。そのまま重力に逆らうことなく、床にしゃがみこませた。
「茂、しっかりしろっ! 生きてるか?」
 両腕をがっしり掴むと、軽く揺さぶっている。完全に白目を剥いて、これが気絶というものか、と興味深く拝見した。
「死にゃあしないよ。軟弱な子だね」
「すごいですね、店長。ちょっとした生物兵器ですね」
「誰が兵器だい。平和利用しとくれ」
「何漫才してるんですかっ」
 怒られてしまった。村山さんに怒られるなんて、初めてのことだ。
「すみません……あっ、茂くん、心臓に持病があったりしましたかっ?」
 心臓の弱い方お断りの店長だから、もし疾患があったりしたら大変だ。わたしはそこに思い至り、いまさらのように慌てた。
「いえ……健康体のはずですが……」
「なんだ、よかったー」
「よくないですよお。茂、こんなにショックを受けて……かわいそうに……」
 村山さんの目がうるり、と涙ぐんだ。店長が、
「ショックを受けられたあたしのことはかわいそうじゃないのかい」
 と小声で言うので、同じく小声で「ご愁傷様です」と声をかけておく。店長の言い分も理のあることだ。
「茂、しっかりしろ、茂ー!」
 茂くんは揺すられてもなかなか目を覚まさない。そんなに揺すらないほうがいいんじゃないかな、と心配になってきた。
「あの、奥に寝かせてあげたほうがいいんじゃないですか?」
 はっとしたように顔を上げて、村山さんは「はい」と茂くんを抱えなおし始めた。
「わたし何か頭を冷やすもの作ってきますね、店長手伝ってください」
「なんだい、こき使うねえ」
 文句を言いながらも、多少罪悪感はあるとみえて、大人しくついてくる。
 わたしは兄弟がいないのでわからないが、先ほど村山さんが見せた必死さが兄弟の情というものだろうか。だとしたら、ちょっとうらやましいかもしれない。
 自分のことを損得抜きで心配してくれる相手があるというのは、どんな感じがするものだろうか、経験はないこともないのだが、それをどう受け止めていいのか、わたしにはまだわからない。
「店長、タオルどこですか?」
「台所の棚開けてみな。商店街のもらいものが入ってるはずだから」
「どの棚ですか?」
「左っかわの上から二番目だよ」
 棚の扉を開けると、なるほど贈答用の紙をくるりと巻かれたタオルがたくさん入っている。一枚もらって水引きの描かれた紙を破いてゴミ箱に入れる。タオルを水で絞って居間へ持っていくと、そこでは村山さんが座布団を二つ折りにして枕にしたりして、かいがいしく茂くんの面倒をみているところだった。
「大丈夫そうですか?」
「はい、なんとか……ありがとうございます」
 タオルをちょうどよく折りたたんで、額に乗せる。白目は閉じられていて、一見無邪気な寝顔のようだった。
「さあて、困ったもんだねえ」
 いつの間にか、店長が所定の座布団にちんまりと納まってキセルをふかしていた。
「困ってるのはこっちですよ。いきなり顔を出すなんて、ひどいじゃないですか」
 キセルが灰落としに打ち付けられて、甲高い音が響いた。
「何がひどいもんかね。あたしゃいきなり出しちゃいけない顔を持った覚えはないよ。ましてお前さんにそれを言われる覚えもないね」
 村山さんがぐう、と黙ってしまう。
「あんたもあんただよ」
 ビシッ、とキセルを突きつけられる、その方向はわたしに向いていた。
「わたしですか?」
「そうさね。いくらなじみ客だからって、部外者を連れてくるたあいい度胸だ」
「ぶがいしゃ」
 茂くんのことだろうか。お説教の方向性が掴めなくて悩んでいると、村山さんが助け舟を出してくれた。
「店長、それは僕が頼んだので、佐藤さんは」
「おだまりっ」
 村山さんは黙った。ほほえましくも、頼りにはならない。店長は再びわたしの方を向いて、
「ここは入れないものは立ち入り禁止なんだよ」
 言葉の意味を考える。わからないが納得はできる。
「すみませんでした」
「飲み込みが早いね」
 感心したように新しいタバコをキセルに詰めながら、「それに比べてお前さんは」と村山さんを睨む。村山さんの体がすくむのがよくわかった。
「二度目だよ、これで二度目。一度目は許しても、二度目はねえ」
「すみません」
「謝ればすむってもんじゃないだろう。あんなに良くしてやったのに、もうお忘れかい」
「いえ! 決して、店長にしていただいたことは……」
 何をされたんだろう。
「何をされたんですか?」
「えっ」
 しまった、つい好奇心が口をついて出た。
「知りたいかい?」
 店長がにやりと笑う。
「いえ、無理にとは」
「一度目は中村だよ」
「うさぎの中村さんですね」
「村山にくっついて来ちまって、すったもんだでバイトにまで収まっちまった。いや、一途さはたいしたもんだけどねえ」
「ははあ。なるほど、ラブですか」
「ラブだねえ」
「違います、違いますって!」
 村山さんが口をぱくぱくさせて反論してきた。
「ここに越すときに荷物の処分を手伝ってくれて、引越し自体は断ったんですけど、荷物運ぶの手伝うってついてきちゃって……それだけなんです」
「あの子の場合、失神までしなかったけど、ぎゃーぎゃー叫んでうるさかったねえ」
「……すみません」
「それが二回だよ。二回。あんた、懲りるってことを知らないのかい?」
「……すみませんでした……」
「どうしてわたしは入れるんでしょう?」
 なんとなく、しかし根源的な疑問が湧いてきて、訊ねてみた。何気ない質問だったのだが、二人ともぴたりと静かになってしまった。
 やがて店長がゆるゆると口を開く。タバコの煙がふわりと流れていった。
「入れるからだよ」
「はあ」
「腑に落ちないかい?」
「落ちませんねえ」
「入りたければ入れる、入りたくなかったら入れない」
「茂くんは来たくても来れなかったと」
「場所の話じゃないよ」
「物理ではなく」
「形而上の話さ」
「なるほど」
「飲み込みが早いね。うちでバイトしないかい?」
「いえ、それは……仕事もあるので」
「辞めちまいな。一生うちで面倒見てやるよ」
「男前ですね、店長」
「惚れたかい?」
「まだまだ」
 わたしたちが和やかに談笑するのを、村山さんが取り残されたように見ていた。


戻る←  →進む

スポンサーサイト
thread: オリジナル小説 | janre: 小説・文学 |  trackback: -- | comment: -- | edit

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。