「パセリの根元には、妖精が住んでいるのですよ」
「はあ」
町田くんは青い空を見上げながら生返事をした。
雲が目の端をかすめ、白を追えばどこかで鳥の鳴き声が。
「あれ、先生、ヒバリってチーと鳴きましたっけ」
「さあ、チーはスズメではないですか?」
「スズメはチュンではないかと思うのですが」
「難しい問題ですね。後で調べておきましょう」
「はあ」
ひとり難しげに頷く先生をまじまじと見つめながら、町田くんは思った。
なんで、おれ、こんなところにいるんだっけ?
考えても考えても、どうしてもわからない。そもそもこの先生とやらは誰であったろうか。町田くんは目を眇めた。考え事をするときの癖である。先生の眼鏡がぴかぴか光って眩しいせいでもある。
先生は丸い眼鏡をかけていた。中肉中背で、髪が灰色をしている。なのにそう年をとっているとも思えない。老成した若々しさという矛盾を体のうちに抱え込んでいるようであった。
「それで、パセリなのですが」
先生が生真面目な顔で口を開いた。
「パセリ?」
「妖精が」
「はあ」
町田くんはぽかんとパセリを見下ろした。妖精らしきものは見当たらない。
「いませんが」
「ひとには見えないのですよ。めったに」
たまには見えるということなのだろうか。町田くんは先生に質問しようとしたが、なんとなく口を噤んだ。雨がぽつりと町田くんの鼻を叩いた。
「おや、お天気雨ですね」
「雨ですね」
町田くんは空を見上げた。相変わらずの青空である。雨を降らせている雲を探したが、いくつか浮かんでいる雲のどれかをそれと言い当てることは不可能のように思えた。あるいは、すべての雲が少しずつ降らせているのかもしれない。
先生は水滴がついた眼鏡を外して、白衣のポケットから出した布で拭いている。
ぽつりぽつり、濡れた地面の面積が増してゆく。
ふたり共、何をするでもなくパセリの近くで雨に打たれている。
「意外に、まぶしいものですね」
「太陽ですか」
「はい、お日様が」
「さしていますねえ」
「はい」
町田くんは濡れた地面を靴のつま先で少し抉った。悪いことをしたような気がして靴の底ですぐに均した。紫陽花を見たいと切に思った。
「パセリはね」
しゃがみこんだ先生が言う。白衣の裾がじわりと湿った。
「繁殖力が強いと言われているんですよ」
「はあ」
「ほうっておいても、どんどん増える」
「はあ」
「というわけでもない」
「はあ」
先生は町田くんを見上げて笑った。
「まじめに聞いていませんね」
「いえ、そうでもありません」
慌てた風もなく町田くんは答えた。先生の話はどうでもよいことのように思えたが、先生の言葉を聴きたいと思った。このふたつは、同じことだろうか、違うことだろうか。町田くんは考えかけたが、考えても理解できそうになかったので、放っておくことにした。「わたしはね」先生が続ける。
「パセリは強い、というのを頭から信じてしまって、地面をちょっと掘り返して種を植えたんです。そのまま何もしなかった」
「芽は出ましたか」
「出ました」
水滴を含んだパセリが、風にあおられてふわりと香る。
「出ましたが、育ちませんでした」
「残念でしたね」
「強いから、どんな場所にでも、どんな蒔き方をしても、立派に育つだろう、という予想を裏切られて、大変がっかりしました」
「それは、それは……」
「大変身勝手ですね」
「はあ」
先生はパセリの縮れた葉の先を指でつんつん突ついている。
「芽はね、蒔いた種の、三分の一も出ませんでした。けれどね、地面からちょこちょこ顔を出した、小さな緑の葉っぱが、とてもきれいだったことが忘れられません」
町田くんはパセリの小さな芽を想像した。いつか見たことがあるような気がした。
「枯らしてしまいました」
先生の白い背中が小さくなった。
「栄枯盛衰ですね」
町田くんはなんとなく呟いた。先生の背中が小刻みに震えた。
「ちょっと違うと思います」
振り向いた先生の顔は笑っていた。
町田くんは心がざわめくのを感じてそれを鎮めたいと少し焦った。救いを求めて目をさまよわせる。なぜか視線は地面を追った。そこに紫陽花を見つけて「ああ」。
「どうかしましたか?」
「先生、紫陽花です」
「綺麗ですね」
「はい」
「紫陽花が好きですか?」
「はい」
町田くんは紫陽花の根元に行きたいと思った。そこに座り込んで、足を投げ出して、葉と花の隙間から永遠に空を見上げていたいと思った。だが、体は少しも紫陽花に近づかなかった。
先生は眼鏡を元通りにかけた。
「町田くん、虹がたちましたよ」
空を見上げると、地平線の果てにうっすらと輝きが見えた。
町田君は、ここはどこだったろうとふと思った。
疑念はすぐに溶け、もう一度雨を請う気持ちへと変わった。
パセリが緑を濃くして足元で揺れていた。
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