小夜嵐

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鰐と乾物屋 24 

 茂くんが食卓に突っ伏してから、沈黙が辺りを覆っていた。
 わたしはしばらくスープを啜っていたが、そろそろ空気を変えたくなったので、「お茶でも淹れましょうか」と提案してみる。
 村山さんが「あ、じゃあ、僕が」と立ち上がって台所へ消えた。
 それを待っていたかのように、茂くんは顔を上げた。声をひそめて話しかけてくる。
「あんたさあ、おかしいと思わないのか?」
「何が?」
「ワニだよ。ワニだよ? あれどうなってんだよ」
「精巧なマスクですよ。ハリウッドなら何だって作れるさ」
「ここ日本だよ。カリフォルニアじゃないだろ。つか、免許証の写真は何なんだよ。なんで証明写真がワニなんだよ」
「目の錯覚かも」
「それでワニかよ。二人揃って目の錯覚が起きるものなのか? 集団幻覚とかじゃねえの?」
「難しいこと知ってるね。さすが中学三年生」
「目ェ逸らしてんな。ここ、この乾物屋、おかしいよ。大体立地が変だし、他にもなんか、こう、おかしいよ」
 そりゃあもう、いろいろとおかしいだろう。
「でもまあ、面白いから」
 ついうっかり本音を漏らすと、茂くんは口を閉じるのを忘れて、わたしの顔をまじまじ眺めた。
「怖くねえの?」
「何が?」
「ワニだぜ」
「あなたのお兄さんでしょう」
 茂くんはうつむいて、いやワニが怖いとかじゃなくて、現象っていうか、何か得体の知れないことが起こってるみたいなわけのわからなさが怖いっていうか、などとぶつぶつ言いはじめた。これが中二病というやつだろうか。中三なのに。
「お茶入りました」
 村山さんがほかほか湯気の上がる湯飲みを三つお盆に載せて持ってきてくれた。
「わあ、ありがとうございます」
 ゆっくりいただく。人柄のおかげだろうか、村山さんはお茶を淹れるのは上手い。
「おいしいです」
「よかったー」
 茂くんが、「なにこのほのぼのした空気」と困惑を深めているようだった。
「まあまあ、ほら、若いんだから早く立ち直って。適応しないと、生き残れないよ」
 やさしくアドバイスしてみるが、「生き残り」という言葉が怯えを誘ったらしい。びくりと身を震わせて硬直してしまった。目じりに涙がにじんでいる。不安定な年頃は難しい。
「生き残れないの?」
「残れる。大丈夫残れるよ。言葉の綾だから。ほら、わたしだって立派に生きてるでしょ? ということは、トンボもアメンボもがんばって生きてるということ。だから大丈夫、茂くんも立派に生きていけるよ」
「さりげなく自分と俺を虫と同列に扱ってないか」
「似たようなものじゃない」
 眉間に皺を寄せて考え込んでしまう。真面目な子だ。
 答えが見つからなかったらしく、かなしそうな顔で村山さんを真正面からにらみつけた。ため息をつく。
「これじゃあ、家に連れて帰れないじゃないか」
「……帰るつもりはないよ」
「俺に全部押し付ける気かよ。汚ねえよ」
「それは、悪いと思ってるけど、押し付ける気はなくて」
「なくても、俺に全部のしかかってくるんだよ。わかってんだろ」
 村山さんは黙り込んでしまった。家庭の事情だろうか。わたしは席を外したほうがいいかな、と腰をあげかけたが、スカートが引っ張られてつんのめった。何かに引っかかっているのかな、と食卓の下を見ると、茂くんががっちりスカートを握り締めている。
 独りで村山さんと話すのが心細いんだな。
 ほほえましいようななまぬるいような気分になって、わたしはこころもち遠くを眺めた。
「だいたい、長男が家出なんて非常識なんだよ」
「いや、家出じゃなくて、自立と言って欲しいんだけど」
「家出じゃなくて何なんだっつの。逃げてんじゃん」
「……逃げてないよ」
「じゃあ、なんで家に顔出さないんだよ。連絡すらないじゃん」
「ハガキ出してるよ」
「年賀ハガキのことか?」
 年に一回しか連絡入れてないのか。それは茂くんも心配になるかもしれない。わたしの胡乱な視線を感じたのか、村山さんがこちらに向かって、「暑中見舞いも出してますよ」とやや慌てて言った。年に二回か。
「卒業したら弁護士になるって約束だったんだろ」
「……約束はしてないよ」
「期待されてたんじゃん。俺知ってるんだからな」
「期待されたからって、応えられるとは限らないだろ」
「応えられるけど、逃げたんだろ」
 村山さんは大きく息を吐いた。疲れているようだったが、声はやさしい。
「言いたいこと、他にないのか?」
「帰れよ」
「それはできない」
「なんで」
 と言って、茂くんはハッと口を噤んだ。おそらく、ワニに慣れてきた自分を感じ取ったのだろう。そうだ、つい先ほど「これでは連れて帰れない」と自ら口にしたばかりなのだから。
「そうだよ。できないよ。どうしよう」
 頭を抱える。つむじが見えてかわいい。わたしは背中をやさしくさすってやった。
「だから言ったのに」
「何て言ったんだよ」
 顔を上げた茂くんに、ゆっくりと首を左右に振ってみせる。
 茂くんは深いところで腑に落ちたような顔つきをして、だがきっぱりと、
「それは言語じゃない」
 と言った。


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