小夜嵐

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鰐と乾物屋 23 

 この台所にあるお皿の中で一番大きいものを選んで、焼きたてのチキンを盛りつける。青いものが欲しいところだが、野菜はスープにぶちこんであるし、食べ盛りの中学生が肉の下のレタスに見向きするとは思えない。おそらく存在に気づきもしないだろう。そんなわけでつけあわせのサラダは省略させてもらった。
 とりあえず、スープを運んで居間に入ると、二人がぼそぼそ話をしていた。邪魔をしたら悪いなあと思いつつ、聞き耳を立ててみる。
「……だから、そのマスク外せよ」
「それは、できない……」
「なんでできないんだよ」
「できないんだ、すまない」
「謝ってどうすんだよ、外せよ」
「できないんだ」
 鬱陶しい会話だ。
「スープできましたよー。熱いので気をつけてくださいね」
 どんと鍋を置き、椀によそって二人の前に突き出す。
「あ、すみません」
「お箸どうぞ。スプーンの方がいいかな?」
 後半は茂くんに聞くと、彼はむっとして「箸でいいよ」と椀を取った。ずっと啜って「あ、うめえ」と呟く。ちょっと嬉しい。
「本当に美味しいです」
 村山さんも気に入ってくれたようだ。
 ごとん、と椀が転がる音が聞こえた。見ると、スープがテーブルの上にぶちまけられて、椀は畳の上をくるくる回っている。
 茂くんは真っ青になって呆然と村山さんを見ていた。
「あらあら、しょうがないなあ、村山さん、雑巾ありますか?」
「あ、はい、今持ってきますね」
 ころがっている椀を手にとって、洗うために立ち上がろうとすると、肘を茂くんにつかまれた。
「おい」
「なに? あ、やけどした?」
 どこかな、とスープがこぼれたところを確認するが、体から離した場所で取り落としたのか、奇跡的に濡れたところはない。大惨事になったのは、テーブルの上だけらしい。
「よかった。どこも怪我はないね」
 うんうん、と肯く茂くんは、続いて首を横に振って震える声で、
「あれ、あれ、あの、マスク」
「うん、マスクがどうかした?」
「ま、マスクじゃ、な、なくね?」
「茂くん」
 わたしは言葉を費やすことをせず、彼の肩に手を置いて、ゆっくりと、かすかに顔を左右に動かした。ゆっくりと。ゆっくりと。
「……わかった」
 茂くんは膝の上で拳を握り締め、決意を固めたような、それでいてどこか迷ったような、厳しい顔で目の前のスープだまりを見つめて、言った。
「わかった」
 確かに、茂くんは素直でいい子だ。
 わたしは彼の肩をやさしく叩いてやった。


 畳にこぼれたスープを村山さんが拭いている間に、わたしはテーブルの上をきれいに始末して台所に戻った。チキンの大皿をテーブルの真ん中に置いて、そろそろ焼きあがるドリアを見に行く。こんがりと焼き目がついて、ぐつぐつと食欲をそそる音を
立てている。適当な皿がなかったので、アルミホイルで簡易皿を作って焼いたのだが、おかげで火の通りがよかったようだ。これならもう食べられる。
 お盆に三つ、あつあつのドリアを載せて居間に戻ると、二人がこちこちに固まっていた。チキンにはまだ手もつけられていない。
「どうぞー。熱いので気をつけてくださいね」
 あえて二人の様子には頓着せず、ドリアが焼けたアルミホイル皿を乗せた皿を置いた。スプーンはつけなかったが別段箸でもかまわないだろう。
「うわあ、本当にドリアだ!」
 村山さんが子供のように喜んでくれる。
「もしかして、三年ぶりだったりして」
「はい!」
 冗談のつもりで言ってみたのだが、思いがけず目頭が熱くなってしまった。三年間、村山さんは味噌だけの味噌汁を飲み続けてきたというのか。なぜ誰も指摘しなかった。わたしは怒りにも似た感情にかられた。
「じゃあ、いただきましょうか」
「はい! いただきます!」
 飢えた肉食獣のようにドリアに食らいつく村山さんを微笑ましく眺めながら、わたしも箸を取る。一口すくうとチーズがとろけて箸にからんだ。ふうふう吹いて冷ますと湯気がふわふわチーズの香りを放って鼻腔に届けてくれる。米もやわらかく、まずまずの仕上がりといってもいいだろう。
 ふと隣を見ると、茂くんがガンボスープを見つめたまま微動だにしていない。先ほどのこともあるので、慎重に声をかけてみることにする。
「茂くん、チーズ苦手だった? ドリア嫌い?」
「……好きだけど」
「チキンにする? スパイシーチキンだよ。ほら、どうぞ」
 大皿のチキンを小皿に取り分けて、茂くんの前に置いてみる。
「なんならこのお皿の全部食べてもいいよー」
 大皿を指差して言ってみる。だが、なかなか緊張は解けそうにない。
「……なあ、あんた」
「なに?」
「あんたじゃなくて、……その」
 茂くんはなるべく前を見ないようにしながら、おずおずと指で村山さんを示した。
「あの、……あんた。……兄、ちゃん?」
「なんで疑問系なの?」
「疑問が生まれないわけないだろ! 本当に兄ちゃんなのかよ!」
 先ほどのショックから、もう回復したらしい。そして当初の疑問に返ったようだ。
「こちらは村山悟さんですよ。ねえ、悟さん」
「は、はい! そうです」
 ドリアから離れた村山さんがなぜかあたふたと返事をする。だが、茂くんはうさんくさそうな目をやめない。
「さっき、わかった、て言ってくれたのに」
 少し恨めしげな目つきになってしまった。茂くんはそんな視線を跳ね返して言葉をぶつけてくる。
「わかろうとしたけどさあ! やっぱりわかんねえよ」
 兄っぽいワニを目の前に据えられて、ものわかりよくすることに耐え切れなくなったのだろう。しかし、こんな僅かな時間で根をあげるとは、こらえ性がないものだ。
「なんとなく、兄ちゃんな感じはするけど、するけどさあ!」
 どっからどうみても変なワニだ! 言ってはいけないと思っていたことを堂々と発言されて、どうしたものかと村山さんを目の端で確認する。所在なさげに後ろ頭をさすっているが、反論する気はないらしい。
 代わりに、村山さんは無言で立ち上がると、和箪笥の一番上の小引き出しを開け、中から一枚のカードを取り出す。席につきなおすと、それを茂くんの前へ差し出した。途端に、茂くんの顔色が変わる。
「……本当に、兄ちゃん……なのか……」
 そんな馬鹿な、とカードを目の前のワニ、いや兄とためつすがめつ見比べる。何のカードだろう、と少し覗かせてもらうと、それは免許証だった。
「村山さん、運転できたんですか」
「ペーパードライバーですけど、一応」
「いいなあ、わたしもとろうかなーとは、思ってるんですよね」
「あれば便利ですよね」
「そうなんですよ。会員証作るときとか、あればいいなーと思うんですけど、車使わないし、なかなか思い切りがつかなくて」
「ああ、そうなんですよね。普段はほとんど使わないですもんね。更新とか来ると面倒で」
「そっか、更新もしなきゃだめなんですよね……うーん、どうしようかなあ」
「おい、おまえら」
 茂くんに呼ばれて、振り返りながら「おまえらとか言っちゃだめだよ」と注意しておく。
「ていうか、おまえ。恵」
「さんをつけなさい。恵さん。あとおまえ呼ばわりはダメ」
「免許以前に、このカード見ておかしいと思わないのか?」
「おかしいって」
 カードを貸してもらい、隅から隅までよく見てみる。
「あ、村山さん誕生日もうすぐですね、ケーキでも焼きましょうか」
「わあ、いいんですか?」
「そこじゃねえよ! なに普通の会話してんだよ! てめえも喜んでんな!」
 ここだよ! ここ! と茂くんが指差したのは、写真の部分であった。
「村山さん、写真写りいいですね」
「いやあ」
 茂くんが机に突っ伏して「もういやだ」と泣き声をあげた。
 写真には、ワニの頭部がくっきりと写っていた。


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